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ブラジル政府謝罪 県系人「感謝と敬意」 戦後80年を前に名誉回復


ブラジル政府謝罪 県系人「感謝と敬意」 戦後80年を前に名誉回復 黙とうするエネア・アルメイダ委員長(右から6人目)ら=現地時間25日、ブラジリア(ブラジル日報提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 宮沢 之祐

 戦後80年を前に、ブラジル政府が負の歴史に真摯(しんし)に向き合った。政府の恩赦(アムネスティー)委員会は25日(日本時間26日)、ブラジル沖縄県人会などの請求を受け、日本人移民迫害について初めて謝罪した。先人の名誉回復を粘り強く求めてきた県系人らから喜びと感謝の声が上がった。

 この日の委員会で陳述した比嘉玉城アナマリアさん(76)。サントス事件での亡き母らの体験を語った。

 母は妊娠7カ月で家を追われ、サンパウロの移民収容所へ。寒くて、ひもじくて、死産の経験がある母は、おなかの子が心配で仕方なかった。

 「スパイ容疑という不当な言いがかりで、家族は屈辱と極貧の生活を強いられた」と比嘉さん。人権への迫害が繰り返されないことを求める一方、謝罪表明について「心から感謝と敬意を表する」とも述べた。

 謝罪の請願を申請していたブラジル沖縄県人会の会長高良律正さん(69)も「県人会として恩赦委に感謝する。謝罪を決断し、先人の名誉を回復してくれた」と感激で言葉を詰まらせた。

 迫害を語ることが困難だった歴史を思い返した人もいる。サントスで生まれ育ち、今は沖縄本島に住む日系2世の女性(66)は、亡父に「戦時中にスパイ容疑で牢屋(ろうや)に入れられた」と聞いた。「悪いことは何もしてない」と父が漏らすことはあった。しかし、ブラジルでは戦後も長く軍事政権が続き、国への不満を表立っては言えなかったという。

 戦後移民だった亡母は「傷をえぐることになる」と、父の「過去」に触れないようにしていた。81年後の謝罪をどう受け止めてよいか、女性は戸惑っているという。

 (宮沢之祐)