米ハワイのソウルフード「スパムむすび」は発祥に諸説あるものの、「発案者」として現地でも紹介されているのが与那原町出身の金城(かねしろ)ミツ子さんだ。その金城さんが8月5日、ハワイで死去した。93歳だった。9月26日(日本時間27日)に葬儀が行われ、多くの人々が別れを惜しんだ。金城さんのいとこの子で、生前親しくしていた野田芳野さん(57)が金城さんの生きた証しを残したいと、その生涯を琉球新報に語った。
野田さんによると、金城さんは1931年2月10日生まれ。沖縄戦を生き延び、県系2世の米兵と結婚した。4人の子を産んだが結婚生活はうまくいかなかった。周囲の目を気にして実家には戻らず、子どもを連れ、60年に夫の両親がいるハワイへ渡ったという。
しかし、夫の両親から援助はなく孤立。何とか子どもを育てるため、おむすび店「ミッチャンズ・ムスビ」を開いた。そこで売り出したのが、たれを付けたスパムをのりで巻いた「スパムむすび」だった。
店の近くに小学校があり、スパムむすびは学校帰りの子どもたちに人気を博した。その後、学校内の売店に商品を卸すようになり、評判を聞きつけたスーパーも取り扱うようになったという。
おいしさの秘密は「秘伝のたれ」にあった。野田さんによると、三枚肉の味付けに使うような甘辛いたれを、うなぎのたれのように継ぎ足しながら使っていた。まさにハワイと沖縄の合作で、現在各地で売られている商品とは異なる味わいだったという。店は2015年に閉店。たれのレシピを知るのは娘だけだ。
金城さんはスパムむすび1本で生計を立て、再婚後の子を含む子ども6人全員を大学まで出した。孫やひ孫、ハワイに呼び寄せた弟や妹の家族も含め、一家は100人を超えるという。
金城さんは生前、老後は沖縄に戻りたいと話していたという。静かな夜に三線の音色が響く、戦前の沖縄に懐郷の念を抱いていた。世界のウチナーンチュ大会にも毎回参加した。
野田さんは「自分が苦労したからか、頑張る人をいつも応援していた。困難を越え、今や世界中で売られているスパムむすびを発案し、最後まで人生を謳歌(おうか)したビッグ・アンティー(偉大なおば)のことを沖縄の人に知ってもらいたい」と話した。