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53年ぶり教え子と再会 新聞広告に名前を見つけ連絡 「信夫の沖縄そばはおいしい」活躍に目を細め


53年ぶり教え子と再会 新聞広告に名前を見つけ連絡 「信夫の沖縄そばはおいしい」活躍に目を細め 53年ぶりに再会し喜ぶ永山カヨ子さん(右から2人目)と教え子の仲筋信夫さん(同3人目)と妻の尚美さん(左端)、永山さんの夫の正弘さん=10月23日、東京都府中市
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 新聞広告がつないだ半世紀ぶりの恩師と教え子の再会―。東京都在住で旧大浜町(現石垣市)出身の「南風花(はいばな)食品」社長仲筋信夫さん(66)と同郷の恩師・永山(旧姓前盛)カヨ子さん(78)=那覇市=はことしの琉球新報の新年号に掲載された広告をきっかけに連絡を取り合うようになり、9月に53年ぶりの再会を果たした。10月23日には仕事で上京中の永山さんと夫の正弘さん(80)が仲筋さんの家族とも対面し、食事をしながら親交を深めた。

 仲筋さんが大浜中学校1年時の担任が永山さん。仲筋さんは中学卒業後に埼玉県の工業高校に進学し、卒業後は電器店勤務を経て、25歳の時に都内で沖縄そばの製麺所を始めた。現在は関東圏を中心に北海道、岩手県、沖縄県内で約600店舗に麺を卸している。

 永山さんは小学校校長を最後に定年退職するまで38年にわたり学校教育に携わり、その後は教育ボランティアのほか、現在は那覇人権擁護委員協議会会長を務めている。

 永山さんは教え子たちの同窓会にも招待されるなど、卒業後も教え子たちと交流を続けている中、音信が途絶えていた仲筋さんのことが気になっていたという。

 「信夫は学校ではヤマングー(やんちゃ)と言われていたけど、私にとっては背が高く、優しい、おばあちゃん子の印象。同窓会でも会えないので、どうしてるのかなと思っていた」と永山さん。製麺所を経営している情報が寄せられた矢先、ことしの琉球新報の新年号に掲載されていた南風花食品社長の仲筋さんの名前を見つけ、仲筋さんに年賀状を送った。恩師から思いもよらない年賀状を受け取った仲筋さんが永山さんに連絡し、電話や手紙のやりとりをしながら旧交を温め、9月に那覇市内で再会が実現した。

 仲筋さんは「気にかけてくれていたのがうれしい。新聞広告を掲載したおかげかな」と笑い、「元気に活躍している先生は本当にすごい」と語る。永山さんは「信夫の沖縄そばは本当においしい。東京で社長として成功している教え子にパワーをもらっている」と目を細める。仲筋さんの妻尚美さん(66)も永山さんと郷里が一緒で、教え子だったことも判明し、二人は「縁があるんだね」と笑顔を見せた。

 (石川理香)

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