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オーバードーズ、閉鎖病棟への入院…「ログアウト」しようとした人生、絶望からつかんだ光 砂糖べべさん


オーバードーズ、閉鎖病棟への入院…「ログアウト」しようとした人生、絶望からつかんだ光 砂糖べべさん ありのままの自分を受け入れたことで、現在服飾デザイナーとして活躍する砂糖ベベさん=1月31日、那覇市内
この記事を書いた人 アバター画像 吉田 健一

 ロリータファッションに身を包んだ一人の女性。服飾デザイナーとして活躍する砂糖ベベさん(31)=那覇市=はかつて、先の見えない暗闇のような日々を送ってきた。度重なる自傷行為に自殺未遂。悩みもがき苦しみ続けた先で、自分の特性と向き合い世界が変わった。「ありのままの自分を受け入れたことで楽になった。みんな違ってみんないい」と語る。

 物心が付いた時から感情の起伏が激しく、集団生活が苦手だった。小学校4年生から不登校となり、図書館や美術館に通うのが日課となった。音に敏感で、「教室の喧噪(けんそう)が苦手だった」。一方、友人には恵まれ、中学時代の友人は今も仲良しだ。「ただ学校に行かなかっただけ」と笑う。

 中学でも不登校で、そのころから自傷行為を繰り返すようになった。進学以外の道を模索していた中学3年、演芸集団FECのオーディションの広告が目に飛び込んできた。友人と試しに受けたら合格、お笑いコンビ「僕らはツインズ」としてデビューを果たす。国際通りの洋服店でアルバイトをしながらお笑いライブをこなす日々が続いたある日、親密にしていた女性が自殺した。

 直後、勢いのまま大阪に引っ越した。アルバイトで生計を立てていたが、生活は荒れ、うつ状態が続いた。見かねた母親により20歳の時に沖縄に連れ戻され、精神科病院の閉鎖病棟に入院した。そこで下された診断は双極性障害だった。

 入院中も死ぬことばかり考えていた。入退院を繰り返す中、21歳の時、病院で知り合った女性が自殺した。「わたしも潮時かな」。その翌日、自殺を図った。幸い、九死に一生を得たが、その後も薬の過剰摂取(オーバードーズ)により何度も病院に運ばれた。砂糖さんは当時の状況について「ログアウトするために飲んでいた」と語る。

 自分を痛めつける日々を送る中、25歳ごろ転機が訪れる。環境を変えるため、3カ月ほどマレーシアなど東南アジアを回った。そこで、日本も海外も同じだと気づいた。「旅をきっかけに変化を外に求めてもだめだと思い、自分の特性と向き合い始めた」

 それから、無理をして社会に適合する努力を辞めた。好きな服を作り、その服が好きな人に買ってもらう。去年からはファッションショーなどのイベントも仕掛けるようになった。

 悩み苦しみぬいた日々を乗り越え、服飾デザイナーとして花開いた砂糖さん。「かつては大人になるのが怖かった。でも自分らしく歩むことで人生は楽になる。今もどこかで悩み苦しむ人がいると思う。でも絶望の先には光がある」。砂糖さんの笑顔は誰よりも輝いて見えた。

 (吉田健一)


 ◇不安や悩みの主な相談窓口は、県立総合精神保健福祉センター・こころの電話相談098(888)1450、沖縄いのちの電話098(888)4343など。