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親としてだけでなく、自分らしく生きたい<伊是名夏子100センチの視界から>167


親としてだけでなく、自分らしく生きたい<伊是名夏子100センチの視界から>167
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 子どもの保護者会の帰りに、クラスメートとその親、兄弟も一緒にバス停まで歩きました。1歳になる子は草をひろったり、段差に上ってみたり、あちらこちらを動き回るので、5分のバス停までの道のりが、15分もかかりました。まわりの小学生や保護者も、その子に合わせて走ったり、おしゃべりしたり、笑って遊んでいます。そんな子どもたちを眺めながら、私の子育ては、こんなにゆっくり子どもの歩きに合わせ、気持ちに寄り添っていなかったかもしれない、と思いました。

 もし他のクラスメートがいなければ、その日も急いでいたでしょう。バスに乗る時、車いすだと、運転手さんにスロープを出してもらわないといけません。発車ギリギリにバス停に着いたら、運転手さんによっては乗せてもらえないことがあります。急いでバス停に着かないといけない、今日の運転手さんはいい人かな、乗り換えはどれくらいかかるかな、他の車いすユーザーもいたらより待ち時間が長くなるな、ヘルパーさんにも連絡をしなきゃ、など考えることがたくさんです。目の前の子どもに合わせる心と時間の余裕がなかなかありません。考えたり心配したりすることが少なかったら、せっかちな私でも、もう少し子どもの話を聞いて、やりたいことに合わせて、のびのび子育てをしていたかもしれません。

 車いすに乗りながら、子ども2人、2歳差の育児は大変だったと最近つくづく思います。渦中にいると毎日を乗り切るのが精いっぱいで、大変すぎて、大変だと感じる余裕すらなかったのです。今、子どもが10歳と8歳になり、少し落ち着いたからこそ、気づきます。自分の喉の渇きも、おなかの減りも、トイレも、疲れも後回し。子どもの安全を考えて、ヘルパーさんをはじめ、多くの人とコミュニケーションしてやりくりする毎日。よく乗り切ってきたと思うし、たくさんの人のおかげでここまで来られたけれど、私が歩けていて、不便なことが少なかったら、もう少しは楽だったのかな、とも思います。

 子どもが生まれる前、10年前の私ってどんな人だったかなと考えます。誰かに合わせて我慢することは今よりはるかに少なく、もっと笑ったり、ゴロゴロしたり、思い付きで行動していたでしょう。あの時の感覚を思い出して、自分らしさを少しずつ取り戻していきたいです。親としてだけではなく、自分も大切にする生き方を模索中です。


 いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。