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いろいろな人がいることが当たり前<伊是名夏子100センチの視界から>175


いろいろな人がいることが当たり前<伊是名夏子100センチの視界から>175
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 先月のアメリカ旅行の続きです。私は20年前にカリフォルニア州に1年間留学していたので、20年たってどこが変わったかな、と楽しみにしていました。しかし予想に反して、アメリカのバリアフリー具合は、いい意味であまり変わっていませんでした。一般のトイレの中に車いす用トイレがある、ファストファッションのお店に車いす用の試着室がある、ファストフード店に車いす席がある、無料シャトルバスに車いすが乗れるようにリフトがついている。エレベーターは広く頑丈なドアで、ボタンを押すのも力がいる。きれいになったり、ハイテクになったりしたわけではなく、当たり前にバリアフリーが浸透しているのです。

 日本では車いす用トイレが、だれでもトイレに変わり、赤ちゃんや子ども連れ、つえを突いた人、オストメイト利用者、セクシュアルマイノリティーなどいろいろ人が使えるように変化してきました。それは多くの人が使うデフォルトを変えるのではなく、マイノリティー専用を作り、分けて、一カ所に集めているかのようです。

 しかしアメリカでは、いろいろな人がいるのが当たり前だと考えられているので、一般トイレの中にいろいろな設備があるのです。通りすがりの人に声をかけられ、ドアを開けてもらうこともよくあり、車いすユーザーの私の存在に驚かれないのが気持ちがよかったです。日本で車いすに乗っていると、私を見かけた人は驚き離れたり、ぎこちなく接したりする人があまりに多く、嫌だけれども慣れてしまいます。排除される感に、言葉にならない疲れやむなしさがあります。

 またアメリカで驚いたことは、私と子どもたちを見て「あなたの子ども? かわいいわね」と声をかけられることがありました。日本では車いすの人が子育てすることがまだまだ広まっておらず、小さな私を母親だと思う人はほとんどいません。母親として生きることに縛られたくないと思いつつも、ありのままの「母親の私」が認められたようで、嬉しくなりました。違うことを当たり前に受け入れる社会は、自分らしく生きられると感じました。

 イスラエルの侵攻に反対するデモが各地で行われ、たくさんの若い人が声をあげているのも印象的でした。秋には大統領選挙も行われます。日米関係も、沖縄の人が少しでも他と対等になれる、いい方向に変化してほしいと願います。 


 いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。