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琉大の名誉教授が葛藤を超え、研究続けた先に見えた「琉球人の生き方」とは<東アジアの沖縄・第3部「交流の足跡」>6


琉大の名誉教授が葛藤を超え、研究続けた先に見えた「琉球人の生き方」とは<東アジアの沖縄・第3部「交流の足跡」>6 1992年、古代交通の要所だった 中国・仙霞関で上里賢一さん(「閩江のほとりで」より)
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 「中国語とウチナーグチができて初めて使える資料がある。中国語をやってみたら」

 当時琉球大の学生だった上里賢一さん(79)が中国語を始めたきっかけは、琉球語の研究者であり、上里さんの指導教員だった故仲宗根政善氏からの言葉だった。それから出合った「琉球漢詩」は上里さんの世界観も変えた。先人の生き方を見つめ直し、今を捉える。

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世界観を変えた「琉球漢詩」 葛藤超え、研究の先に見えた「琉球人の生き方」とは<東アジアの沖縄・第3部「交流の足跡」>6

 「中国語とウチナーグチができて初めて使える資料がある。中国語をやってみたら」  当時琉球大の学生だった上里賢一さん(79)が中国語を始めたきっかけは、琉球語の …