山城幸子さん(88)=那覇市=は目が不自由で、鍼灸(しんきゅう)師の資格を持つ山城真一さんと結婚し、市内で治療院を開院します。苦労を重ねながら2人の子どもに恵まれました。真一さんは1999年に他界しました。
生家があった那覇市住吉町に戦後戻ることはありませんでした。ふるさとは那覇軍港の金網の向こうにあります。家の近くにあった住吉神社は山下町の公園内に移されました。
山城さんが住んでいた住吉町1丁目付近は港の拡大によって水没してしまいました。「元の家があったところは海の中です」と山城さんは語ります。
沖縄戦が始まる前、家で新聞を取っていました。新聞は日本の戦勝を伝えていましたが、家族の誰かが「負けているのに、勝っていると言っているね」と話していたのを覚えています。
「いつも『勝っている、勝っている』としか聞かないけれど、それは『ゆくしむぬい』(うそ)だと話していた。家の外では言えないけれど、私は子どもながらに負けているのでは、と思っていました。何かを感じていたのでしょうね」
最近は穏やかな生活を送っています。これまで自身の戦争体験を語ることはなかったといいます。「高齢になり、伝えておかなければと考えるようになりました。今回話すことができて良かったと思っています」と山城さんは話します。
(山城幸子さんの体験談は今回で終わります。次回から喜屋武貞子さんの体験談です)