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350年、日用品に宿る「沖縄の美」 壺屋焼・玉城 望・若子さん <伝統工芸製品・県指定50年>


350年、日用品に宿る「沖縄の美」 壺屋焼・玉城 望・若子さん <伝統工芸製品・県指定50年> ろくろを回し、作品を制作中の玉城望さん=2023年11月29日、大宜味村江洲(ジャン松元撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 吉田 健一

 素朴な日用品の中に宿る沖縄の美。約350年の歴史を誇る壺屋焼から放たれる力強さと深い味わいは日々の暮らしに彩りを与える。陶工たちは伝統を守りつつ、壺屋焼の可能性に挑み続ける。

 沖縄の戦後復興を支えた壺屋焼は現在、那覇市のほか、読谷村や恩納村、南城市など県内各地に24の窯元が存在する。時代の流れとともにガス窯や電気窯が主流となる現代。大宜味村で今もなお、伝統にこだわり、自作の登り窯で作陶に励む夫婦がいる。玉城望さん(52)、若子さん(61)だ。

連房式登窯の前に立つ玉城望さん(右)と若子さん=2023年11月29日、大宜味村江洲(ジャン松元撮影)
玉城望さん、若子さん制作の壺屋焼

 壺屋陶器事業協同組合の後継者育成事業で知り合った2人は2000年、大宜味村に登り窯を試行錯誤の末に自作した。当初は失敗続きで、今も炎の温度や強さによって「イメージ通りにいかない」のが当たり前だという。

 伝統技法の掻落(かきお)としやタックワサー(盛付)を得意とする2人は日々、土や炎との対話を大事にする。作品に一つとして同じものはなく、多様な表情を見せる。壺屋焼の技術、技法の多くは県外や海外にルーツがあり、「世界の技術がチャンプルーしている」という。

 沖縄戦や県外陶器の流入など多くの困難を乗り越え、「暮らしの中の器」として息づく壺屋焼。2人は「毎日使ってこその陶器。多くの県民にやちむんとしての壺屋焼を知ってほしい」と語る。

 (文・吉田健一)(写真・ジャン松元)

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【壺屋焼】
 1682年に首里、知花、湧田の窯が現在の壺屋に統合されたことから壺屋焼としての歴史が始まった。筆で釉薬(ゆうやく)を塗る「絵付け」や線で模様を描く「線彫り」、表面を削り模様を引き立たせる「掻落(かきお)とし」など多彩な技法が使われている。