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成人の日に思う 思い込みを捨て挑戦を 野崎聖子(うむやす法律会計事務所代表、弁護士)<女性たち発・うちなー語らな>


成人の日に思う 思い込みを捨て挑戦を 野崎聖子(うむやす法律会計事務所代表、弁護士)<女性たち発・うちなー語らな> 野崎聖子
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 大学生の頃、夏季講座で「女性学」を受講し社会における男女不平等の実態を知った。女性学の中では子どもの頃から生活の中で度々感じていた小さな違和感や疑問が言語化されており、日常の無意識の中にある不合理を初めて認識した。おそらく当時は男女雇用機会均等法の改正に向けての機運が高まっていたのだろう。無気力な学生であった私は、その学びを深めるでもなく具体的な行動を起こすでもなかったが、社会は大きく変わっていくかもしれないとの期待があった。

 約30年後の2023年、日本のジェンダーギャップ指数は146カ国中125位だ。この国の男女格差はなかなか埋まらない。

 最近の若者はジェンダーフリーの考えが進んでおり、仕事や家事育児に対する考え方の男女差は比較的小さい。若者の多くは、性別に関係なく個人の能力や選択肢を尊重し、それぞれが自分の思うように幸せに生きればよいとのスタンスで生きているように見え、ちょっとうらやましいくらいである。

 しかし男女差がないわけではない。小中学校の教育では男女差は無いに等しいのに、高等教育就学率や進路選択の傾向では差が現れ、20代では男性に比べて女性の平均所得は低くなる。個人差はあるものの、キャリア形成意欲にも違いが出る。この差が生じる理由はいろいろあるが、幼少期からのアンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)の影響は大きいだろう。

 例えば、わが家でもよく見ていた子ども向けのテレビ番組。朝の家庭生活の一部を切り取ったコントがあったが、母親は常にエプロンを着て食事を作り、父親と子どもたちの準備を手伝い、玄関で見送る立場だった。そういえば、昭和のテレビ番組では妻が夫の着替えを手伝うシーンは定番だった気がする。

 驚いたのは大学受験の英単語本。「男は仕事。女は家庭」の昭和的モデルを現した例文が多かった。娘は「令和の受験生にこんな例文を覚えさせるなんて!」と文句を言っていたが、疑問を感じずにインプットする受験生が大半だろう。人は知らず知らずのうちにバイアスにとらわれてしまうが、バイアスは他者を枠にはめて評価し、自分の可能性を狭めてしまう。特に若い方には、思い込みを捨てて多くのことに挑戦してほしい。

 明日は成人の日。国民の祝日に関する法律によれば、成人の日は「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日とのこと。ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんの父親は、マララさんをどのように育てたのかを聞かれ、「彼女に教育を与え、翼を切らなかっただけだ」と答えた。私も少し先に人生を歩み始めた先輩として、若者を励まし、その翼を切らないよう心がけたい。

 日常にあふれるバイアスから解放されることは容易ではないが、ほんの少しの気付きとチャレンジが積み重なると、30年後には違った世界が広がっているのかもしれない。