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<西里喜行さんを悼む>上里賢一 研究根底に弱者への思い


<西里喜行さんを悼む>上里賢一 研究根底に弱者への思い 東恩納寛惇賞受賞時にインタビューに答える西里喜行さん=2018年、宜野湾市の自宅
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 西里喜行先生の研究姿勢は、出身である京都大学東洋史学の伝統に支えられ、緻密で厳しいものだった。それに先生の個性が加味されて、粘り強く、しつこく、文章は複雑にねじれ、長くなり、難しくなった。安易な妥協を許さない求道者のような姿があった。1970年代後半、「廃琉置県」と「旧慣温存」の評価をめぐる安良城盛昭氏との大論争は、今でも沖縄学術史を飾る論争として人々の記憶に残っている。

 69年に那覇市史編集室に勤務、翌年琉球大学講師になった。那覇市史の一冊に『歴代宝案』を収める研究会のメンバーとなり、次いで沖縄県の一大文化事業となる『歴代宝案』編集事業でも、その中心を担われた。校訂本・訳注本各15冊が完成したが、補遺編、普及本、総索引、デジタル化など、まだまだ仕事が残っている。最近、真栄平房昭氏、生田滋氏を亡くし、ここで西里先生を送ることは、『歴代宝案』編集事業にとっては、堪えられない損失である。

 『歴代宝案』や中国・日本の文献資料を駆使して展開される研究は、内外の注目を集めた。『清末中琉日関係史の研究』は、その白眉である。先生の研究の底流には、差別や偏見に対する抗議、弱者に対する深い思いやりがある。初期の論文著作が「沖縄差別論」でくくられるほどだ。そこには、先生が竹富島で生まれたことも関わっているだろう。

 たくさんの叱咤(しった)激励をありがとう。のんびりなさってください。

 (歴代宝案編集委員長・琉球大学名誉教授)


 西里さんは2日に死去。83歳。