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心に刻まれた言葉 「沖縄のために」父と共通 波照間陽(成蹊大学アジア太平洋研究センターポスト・ドクター) <女性たち発 うちなー語らな>


心に刻まれた言葉 「沖縄のために」父と共通 波照間陽(成蹊大学アジア太平洋研究センターポスト・ドクター) <女性たち発 うちなー語らな>
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 「狭き門から入れ。滅びに至る門は大きく、その道は広い。そして、そこから入って行く者が多い。命に至る門は狭く、その道は細い。そして、それを見出す者が少ない」。これは『新約聖書』マタイ伝第7章の言葉であるが、10代の私に父が贈ってくれた言葉である。ヘルマン・ヘッセ著「車輪の下」に出てくる一節だ。進学する大学を選ぶ時、大学卒業後の進路に迷った時、この言葉を思い出し、自ら選択してきた。

 このたび、父・波照間永吉が(他紙で恐縮だが)沖縄タイムス社の「第51回伊波普猷賞」を受賞した。父は琉球文学を専門とし、琉球国時代の祭祀(さいし)歌謡集「おもろさうし」などを研究してきた。父が編集刊行に携わる琉球文学体系シリーズ全35巻の第1、2巻「おもろさうし 上・下」が、「沖縄学の父」伊波普猷の後に続く郷土の文化や学術に寄与する学術書として評価された。父の地道な研究活動がこのように結実したことをとてもうれしく、誇りに思う。

 父のことを知る方々から「お父さまの跡を継がなかったのね」と言われることが何度かあった。父からウチナーグチや琉球史の学習を強いられたことはなく、自分の関心が赴くままに、米軍基地を抱える沖縄の状況に疑問を持って国際関係や安全保障を学んできた。しかし、「沖縄のために」という気持ちは共通している。

 大学入学後は世界に関心が向いていたため、平和学や国際協力の授業を受けた。専門を絞る時、東南アジアなどの貧困問題を扱う国際協力か、沖縄の基地に関わる国際関係論のどちらにするか迷って、父に相談したことがある。父は「あなたしかできない、沖縄のためになることをしなさい」と助言をくれた。

 父の仕事は、沖縄の足元を深く掘ること、すなわち、琉球古来の伝統文化、信仰や万物の捉え方に価値を見いだし、それを後世に残すために活字にしておくことだと理解している。私もその重要性を認識し、その上で、沖縄が再び戦場とならないよう、他の地域にも劣らない豊かな琉球・沖縄の歴史が途切れることのないよう、安全保障や平和について学び思考し続けるのが私の役割だと考えている。

 平日の夜も週末も研究会や出張で家におらず研究に取り組んでいた父を見てきた。子育てをしながら何とか研究業界に残ろうともがいている現在の私は「父のようにはできない、なれない」と感じる。第一線の研究者になるためには犠牲も多い。それでも父の背中を見ながら、今後も「狭き門」を思い出して人生の選択をしていこうと思う。