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能登への思い 漆の絆を大切に支援 金城聡子(浦添市美術館学芸員) <女性たち発・うちなー語らな>


能登への思い 漆の絆を大切に支援 金城聡子(浦添市美術館学芸員) <女性たち発・うちなー語らな> 金城聡子
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 能登を思うとき、国宝「松林図屏風」が浮かぶ。松は細く柔らかく水墨画の幽玄な画面に大陸からの冷たい空気が漂う。作者・長谷川等伯(とうはく)(1539―1610)は七尾の人で、京に出て大成した。1993年から2001年ごろ、私は何度となく海岸沿いの松を眺め輪島へ向かった。

 琉球漆芸を専門とする浦添市美術館が1990年、さらにその翌年に日本最大の漆器産地輪島市の石川県輪島漆芸美術館が開館した。漆芸を専門とするユニークな両館は92年に友好美術館を提携し交流を続けている。調印式は輪島市で行われ、浦添市からは文化交流団を派遣して輪島市民や能登の方々へ琉球芸能を披露した。当館所蔵品による「琉球漆芸展」も開催し大盛況だった。まだ景気が良く、輪島塗は全盛期だった。

 当館では開館5周年「輪島漆芸展」、友好提携10周年「漆芸の今―現代輪島漆芸展―」を開催した。輪島市内には日本工芸会系、日展系、フリーの漆芸作家が大勢おられた。単に産地ではない漆芸の豊かな表現活動が盛んに行われていた。展覧会には最高峰の作品をかき集めた。幸運にも私はこの二つの展覧会を担当させていただいた。朝市通りの宿に泊まり、安月給ながら買い求めた瀬戸國勝(せとくに・かつ)氏の飯碗と汁椀、角偉(かどい)三郎氏の器は今も愛用している。

 沖縄から輪島へ渡り修業した漆芸家たちがいる。修業とは3、4年間親方に仕え、年季が明けると一人前。技を体得するには厳しくも奥深い師弟関係がある。照屋和那(かずな)氏は51年那覇市出身。日本の蒔絵(まきえ)に魅せられ修業しながら石川県立輪島漆芸技術研修所で学ぶ。大見謝恒雄氏は53年那覇市出身。研修所同期に国宝・山岸一男氏がいる。

 大見謝氏は、親方の大窪(おおくぼ)昭七から受け継いだ代々の蒔絵図帳を当館に寄贈された。照喜名朝夫氏は58年那覇市出身。五島屋に蒔絵師で弟子入りし研修所に通った。渡慶次弘幸氏80年浦添市出身と渡慶次愛氏79年同出身は木地師と塗師として修業を積み帰郷した。

 二人はその技で沖縄の材や伝統に向き合い、近年は国の伝統工芸士となり新たな琉球漆器の担い手となった。輪島塗修業者の皆さんには共通する美しさがある。芯が通った等伯の松である。

 能登半島地震の支援として浦添市は輪島市へ義援金を送り、募金活動を続けている。当館では「漆器の里 石川県輪島市と沖縄の絆展」(1月17~28日、入場無料)を企画した。これは私の勤めと思っている。展覧会はあと3回開催するが、多くの方のご高覧とご支援をお願いしたい。