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レッテル貼りのデメリット 先入観自覚が理解の一歩 波照間陽(成蹊大学アジア太平洋研究センターポスト・ドクター) <女性たち発・うちなー語らな>


レッテル貼りのデメリット 先入観自覚が理解の一歩 波照間陽(成蹊大学アジア太平洋研究センターポスト・ドクター) <女性たち発・うちなー語らな>
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 高校生の時、私の価値観の一部を形成した、とても大事な本に出合った。金城一紀著「GO」という小説である。在日コリアン2世の男子高校生が主人公の話で、周囲の人々や社会との葛藤が生き生きと描かれていた。「在日」ということが何を意味するのか、その頃はよく分からなかったが、そのように呼ばれ続けることに反発する主人公のせりふが強く印象に残った。

 「おまえら、俺が恐いんだろ? 何かに分類して、名前をつけなきゃ安心できないんだろ?…《ライオン》は自分のことを《ライオン》だなんて思ってねえんだ。おまえらが勝手に名前をつけて、《ライオン》のことを知った気になってるだけなんだ」

 とてもふに落ちる言葉だった。当時、米国が大量破壊兵器を保有している疑いでイラクに対して戦争を仕掛けようとしていた。イラクを「悪の枢軸国」と名指しし、テロリズムを支援している国家として明確に敵視した。名前をつけることで、相手に対する見え方も対応も一定の方向に形作られる。こちら側が正義であるという考えが浸透し、あらゆる対処方法に正当性が与えられることになる。

 先月、研究のため米国に行ったが、この読書体験を思い出す出来事があった。ロサンゼルス郊外から空港まで、配車サービスを利用して移動した。運転手はロス市内の私立大学で神学を教える講師の男性だった。彼は3年ほど前にイスラエル北部を旅行したとき、敬虔(けいけん)なユダヤ教徒の家庭にお世話になったという。

 そこで、一人の女性が雄弁に語り、男たちに指示を出していたのを見て驚いたそうだ。ある宗教や文化における女性たちは抑圧されていると思われがちだが、実はそうではないのかもしれない、その人たちの社会の中に飛び込んで彼らと直接話してみると、それまでの固定観念に気付かされるのだ、と教訓を語ってくれた。

 私も固定観念から完全にフリーではないし、先入観を持って他人を見ることはある。おそらく皆さんもそうだろう。また、沖縄に住む人々、基地に反対する人々、基地から恩恵を受ける人々、県内のマスコミに対する特定の先入観があることも否めない。障がい者、外国人、性的マイノリティー、あらゆる「他者」に対しても。そして、行き過ぎたところに誤解や偏見、差別があるだろう。

 そのように分類されたグループの中にも多様なストーリーや考え方、価値観がある。レッテルを貼ることで、そのような違い・バリエーションが見えなくなる。知ったつもりになって対話の機会を閉ざしてしまう。「名前をつけて分かった気になっているのでは?」と自問し自覚するだけでも、次のアクションが変わり、他者への理解は一歩進むと信じている。