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琉球の抹茶文化 斬新でモダンなコラボ 金城聡子(浦添市美術館学芸員) <女性たち発・うちなー語らな>


琉球の抹茶文化 斬新でモダンなコラボ 金城聡子(浦添市美術館学芸員) <女性たち発・うちなー語らな> 金城聡子
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 心残りがないように、茶の湯(茶道)に触れたい。千利休(せんのりきゅう)(大阪堺出身・1522~91年)の時代、琉球に抹茶文化があった。むしろ盛んだったかもしれない。沖縄にエイサー(念仏踊り)を伝えた袋中(たいちゅう)上人(しょうにん)(1552~1639年)の「琉球往来」には、堺から来琉した茶名人の稽古で準備すべき道具が記されており、驚くほど私の稽古道具と変わりない。

 薩摩は琉球侵攻後、琉球へ中国(唐)の茶道具の輸入を所望し、唐物古道具や琉球製品を調達した。和風の物は外し、唐物めいたものを差し出すよう指示もしている。琉球はこうした大和のニーズを学習し、貝摺(かいずり)奉行所でひたすら官製の唐物風漆器の製作に励んだ。

 京都大徳寺龍光(りゅうこう)院に国の重要文化財「油滴天目(ゆてきてんもく)」がある。天目は明時代以前に中国福建省で焼かれた茶わんで、底がすぼまり不安定な形のため漆器の台に載せて使う。この天目に添った台は琉球製菊唐草文様のヤコウガイ螺鈿(らでん)で、きらめく台に、水に浮かぶ油滴文様が広がる肌の茶わんを載せる。斬新でモダンなコラボは華やかだ。

 首里城はじめ、県内のグスクからは茶入や天目の茶道具が出土する。久米島の宇江城は海抜310メートルの最高所だが、そこからも出土した。首里城の正月では国王が家臣に酒と抹茶を振る舞い、薩摩の役人が参上すれば懐石(かいせき)料理を伴う茶事(ちゃじ)を行った。中国皇帝の使者・冊封使は琉球で「古式の茶でもてなされた」と報告している。

 私は裏千家の流儀に親しみ、豊見城市松涛(しょうとう)庵の宮島宗京(そうきょう)から学ぶ。家元で修業された師匠の下、京都と遜色のない環境で茶の湯を実践し道具を使う。学芸員としてモノを見る物差しの一つに茶の湯があるが、師匠のお陰である。そして、稽古では至福の一服を味わい自分を整える。「平常心是道(へいじょうしんこれみち)」である。

 三千家のうち、武者小路千家には沖縄市出身で家元直属の弟子となった仲宗根宏さんがいる。私より一回り年下で、福岡県太宰府市を拠点に九州・沖縄を指導している。時代が違えば利休さまのように琉球国の茶道頭といった逸材と思う。いつの日か首里城で茶会を催してほしい。

 私は浦添市美術館の学芸員(他所勤めもある)として琉球漆芸を専門とするほか、様々なジャンルの展覧会に関わった。私に垣根は無く漆器にもアートを感じる。人が人たる素晴らしさは創造と創作にあり、モノや歴史はこれを語ると思う。このコラムでは一の重、二の重と私の身の回りの話題を重箱のように詰めた。「学芸員とは何か」を語らなかったことは反省している。執筆を推薦された方、担当方々、何より読者の皆さまへ心より感謝を申し上げます。