有料

兵器や軍人中心の展示続く 説明欠く資料多数 アブチラガマ案内センター 旧平和資料館の反省、生かされず 沖縄、南城


兵器や軍人中心の展示続く 説明欠く資料多数 アブチラガマ案内センター 旧平和資料館の反省、生かされず 沖縄、南城 日本兵とみられる写真が掲示されている=南城市玉城の糸数アブチラガマ案内センター
この記事を書いた人 Avatar photo 上江洲 仁美

 南城市玉城にある糸数アブチラガマ案内センターの展示が、戦争賛美につながる内容と問題視されてから約2カ月が過ぎた。日章旗や軍人の写真などを壁一面に掲げる展示内容は今も変わっていない。南城市が管理する公的施設だが、展示に市の関与はほとんどなく、展示理念の議論もないまま資料が並べられている。ガマの専属ガイドの一人は「ガイドが戦争を賛美していると思われるならショックだ」と胸の内を明かした。

 南城市はガマの保全や施設修繕などを行う管理主体で、案内センターの展示を担うのは指定管理者である糸数自治会だ。

説明ない遺留品

 案内センターには、日本兵の遺留品とみられる日章旗10枚や軍人の写真、銃剣、海軍兵の軍帽など約300点が並んでいる。展示品の多くは8年ほど前に市民から寄贈されたもので、5年ほど前から展示を始めた。アブチラガマに関連した資料は少ないという。

 展示する際、外部の有識者を入れた検討会議などはなかった。資料を県公文書館の職員に見てもらい、判明した一部資料には簡単な説明を付けたが、説明がない資料も多い。

 平和学習でアブチラガマを年7、8回訪れる県教職員組合(沖教組)島尻支部の下地史彦さんは「大切なのはキャプション。説明書きがなければ見た人がどう思うのか。武器は人の命を奪うものだということを明示しないといけない」と指摘する。

 アブチラガマの専属ガイドの一人は「日章旗が展示されているのは違和感がある」と語る。15人ほどのガイドが所属し「アブチラガマの実相を伝える」という思いで活動する中、展示に対して複雑な思いを抱えている。

旧平和資料館の反省

 兵器や軍人の遺品など戦争に関わる資料の展示方法を巡っては、1975年に開館した旧県立平和祈念資料館の展示の反省を踏まえ、沖縄戦研究者らは熟慮と議論を積み重ねた。78年には住民視点の展示に変えた歩みがある。

 総合プロデューサーの中山良彦氏が指揮を執り、78年のリニューアルオープン時には、さびた銃や鉄かぶとなどを山積みにして、人々を殺りくした兵器を「戦場跡の残骸」というオブジェとして展示し、戦争を否定する展示方法に変更した。

 「鉄の暴風」と形容される沖縄戦の実相を伝えるために、戦争体験者の証言を中心に展示する手法を取った。

 2000年に開館した現平和祈念資料館の準備段階でも、沖縄戦の実相を薄める展示の動きがあり、関係者の努力で今の展示に至った背景がある。

「賛美の意図ない」

 案内センターの當山晃事務局長は展示について「戦争を賛美する意味はない」と説明する。遺留品を遺族に返す目的もあったとし、実際に日本遺族会を通じて日章旗3枚を遺族に返還した。

 市の担当課・観光商工課も「問題視されてるような戦争賛美の認識はない」との見解を示すが、下地さんは「何も問題を感じないのが問題だ。管轄者として展示に責任を持ち、展示に関する検討委員会を立ち上げてほしい」と話す。

 市は今後、専門機関の意見を仰ぎ、展示方法を検討するとしている。

 沖縄戦の研究者を交え、アブチラガマの関係者も含めて、今後どういった展示がいいか話し合い、時間をかけた協議が求められる。

 (上江洲仁美)