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沖縄と重なる痛み なぜ福島原発なのか 佐久川恵美(同志社大学・都市共生研究センター研究員)<女性たち発・うちなー語らな>


沖縄と重なる痛み なぜ福島原発なのか 佐久川恵美(同志社大学・都市共生研究センター研究員)<女性たち発・うちなー語らな> 佐久川恵美
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 なぜ沖縄出身のあなたが福島原発事故を研究しているのか。出会った人達から発せられた質問を自分自身に問うてきた。考える度に、沖縄で生まれ育って感じたことや家族の話と結びつく。

 20代で出兵した私の祖父は、晩年、夕日に染まる町をみて「町が燃えている」と夕日を嫌がり、私がどれだけ耳をすませても聞こえない赤ん坊の泣き声に苦しんでいた。父は、畑仕事の最中に見つけた不発弾の危険性を時に笑いを交えながら語って聞かせた。米軍基地で働いた母は、祖母も基地で働いたのだと家族の歴史を話した。学校で受けた平和教育の影響もあるだろう。戦争や基地は生活の何気ない場面で姿を現し、いつか圧倒的な暴力として私に降りかかってくるかもしれないと心づもりをするようになった。

 沖縄を離れて京都の大学に入学した2011年、福島原発事故が起こって着の身着のままで逃げる人々の姿が連日報道され、原発も暴力的存在なのだと肌身で感じとった。

 着の身着のままで逃げる人々、避難する車で延々と続く渋滞、その光景を4月3日、沖縄でも目の当たりにした。津波警報が出た時、誰とどこに、どの手段で避難するか、自力で避難できない人はどうするか、避難者受け入れ地域はどう対応するか等、どれだけの人が瞬時に判断できただろう。台湾の原発が事故を起こしていれば、より大きな被害が出て、迫られる判断はより複雑になったはずだ。

 福島原発事故で沖縄に避難してきた人たちの多くが、被ばくを避けるために無我夢中で、福島第一原発から離れていて原発が無い県を目指したのだと語る。他方で沖縄県は、福島第一原発より台湾の原発の方が近い等、事故が起これば国内の原発だけでなく国外の原発の影響を受けやすい距離にある。さらに核兵器の視点から言えば、非核三原則を表明した佐藤栄作元首相が「核抜き・本土並み」の沖縄返還交渉をした一方で、重大な緊急事態であれば沖縄への核の持ち込み等を認める米国との密約に合意していたことも近年の報道や研究で明らかになった。私達はいつ「核抜き・本土並み」になれるのか。

 1952年4月28日、日本の主権回復と引き換えに沖縄、奄美、小笠原諸島は米国の統治下におかれ、「屈辱の日」と呼ばれてから72年が経つ。尊厳、人権、命は傷つけられて初めて自分の問題として感じられるという語りがあるが、もうこれ以上傷つけられる必要はないし、痛みから歴史を紡ぎ、今とは異なる社会をつくりだす力を私達は持っている。

佐久川恵美 さくがわ・えみ

 1989年生まれ、那覇市出身。同志社大学・都市共生研究センター研究員。主な論文に「福島原発事故における線引きを問う」(共著・ハングル訳「境界における災害の経験」亦樂出版社)などがある。