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理不尽な痛み 自立の機会は突然に 喜納育江(琉球大教授) <女性たち発・うちなー語らな>


理不尽な痛み 自立の機会は突然に 喜納育江(琉球大教授) <女性たち発・うちなー語らな> 喜納育江
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 日本では「あおり運転」が問題だが、運転中にキレることを英語ではroad rageと言う。そして、運転中にキレるのは、国を問わずなぜか男性の方が多い。

 大学1年の春、免許取得3日目の朝のこと。友人を助手席に乗せて大学へ向かう道が渋滞していた。前のトラックに積まれた木材の先端が荷台からはみ出して目の前に迫っているのが怖くて、少し距離をとって停止していると、後続車が突然クラクションを鳴らしてきた。バックミラーの中で、モジャモジャ頭のおじさんが「前に行け」と手で合図をしている。左折して職場の駐車場に入りたいらしいおじさんの進路を私がふさいでいたのだ。困った私はミラーに向かって首を振った。

 すると、おじさんが車から出て、ズカズカとこちらへ歩いてきた。事情を説明しようと運転席の窓を下ろすと(これがそもそもの失敗)、おじさんは「お前、もっと前に行け」と怒鳴った。私が「できません」と返すと、男は怒り心頭、「何? 女のくせに」と言って、手の甲で私の右頰を強く叩(たた)いた。驚いた友人が「何するんですか」と助手席から身を乗り出す。男が去るのと同時にトラックがゆっくり動き出したので、私も発進した。その間、約2分。今でも思うのは、なぜ彼は2分待てなかったのかということ。そして、運転初心者の私の判断に非があったとしても、なぜ「下手くそ」ではなく「女のくせに」という言葉とともに叩かれなければならなかったのかということ。

 昼ごろ帰宅して母に話すと、当然ながら激怒した。「親でも手を上げたことがないのに」と。母のその言葉に自分が被害者だと気づき、急に悔し涙がこみ上げてきた。傍らで仕事をしていた父は、母と私の会話に反応せず無言で作業を続けている。母は再び「許さん」と言って身を起こすと、泣いている私に電話の受話器を差し出した。「はい、電話しなさい」。私は一瞬「え? 私がですか?」と戸惑った。すがる思いで父の方を一瞥すると、黙々と仕事をしている。出た。必殺「聞かざる」の術。観念した私は、男の車が入った会社の代表番号に電話をかけ、たまたま電話に出た不運な人に、嗚咽(おえつ)しながら必死に抗議した。

 「おかしいと思ったら抗議しなさい、自分で」という両親の教えと、世の中の男性は父のような優しい人ばかりではない現実を私に突きつけたあのヤナオジィのおかげで、あの日、私は少しだけ自立した。そして、私のフェミニズムの原点には、あの理不尽な言葉と痛みの記憶がある。

喜納育江 きな・いくえ

 1967年生まれ、那覇市首里出身。琉球大学教授。専門は米文学、ジェンダー研究。編著書に「沖縄ジェンダー学」全3巻(大月書店、2014―16年)など。09年以降、大学や県の男女共同参画に関わり、23年より琉球大学副理事・副学長。