有料

「日本軍化」を警戒 陸自HPに牛島司令官の句 「皇国史観そのもの」批判の声 沖縄


「日本軍化」を警戒 陸自HPに牛島司令官の句 「皇国史観そのもの」批判の声 沖縄 市民団体が抗議する中、日本軍第32軍の牛島満司令官らを弔う「黎明之塔」を「参拝」する陸上自衛隊第15旅団長ら=2013年6月23日、糸満市摩文仁
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 陸上自衛隊第15旅団(那覇市)が公式ホームページの中で、沖縄戦を指揮した日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句を掲載していた。県内各地で軍事要塞(ようさい)化が進み、15旅団を「師団」に格上げする方針が示される中、公式ページには牛島司令官の句と合わせて、沖縄戦の犠牲を「散華」という言葉で美化するような表現もあった。「静々と日本軍と一体化」「組織ぐるみの歴史戦」と警戒する声が出ている。

 陸上自衛隊は、朝鮮戦争が勃発した1950年に前身の「警察予備隊」ができ、「保安隊」の名称を経て、54年に発足した。戦後日本の安全保障政策に詳しい佐道(さどう)明広中京大教授によると、陸自は発足時から、戦前に政治介入をした陸軍の幹部軍人を受け入れずに人的つながりを絶った上、「文官統制」という形で制服組は決定に関与させない仕組みをつくり、日本軍との関係を排除してきた。

 「沖縄の陸上自衛隊も救急搬送や不発弾処理などを通じて受け入れられてきた。第32軍とのつながりを示すとはどういうことなのか」

 佐道教授は、牛島司令官の辞世の句を載せたことに疑問を呈した。「かつては防衛庁(省)の官僚の中に戦前のような軍人による政治介入への警戒心が強かったが、世代と共に意識も変わり、制服組の発言力が強まっている」と述べた。

 防衛ジャーナリストの半田滋氏も、陸自内の変化を指摘する。

 「かつては日本軍と同一視されないように距離を置いて行動してきたが、PKO活動やイラク派遣(2003年)で自信をつけ、日本軍との一体化が静々と始まっている」

 各地の陸自駐屯地は陸軍施設を居抜きで使っているところも多く、かつては日本軍の資料は陸自と分離して展示していたが、21世紀に入ってから一体化する動きが出てきているという。15旅団のページについて、「自衛隊の屋台骨と自負する陸自が日本軍にすり寄っていくのは、復古調を自衛隊が進めていると指摘されても仕方がない」と語った。

 県平和委員会の大久保康裕事務局長は、「皇国の春に 甦らなむ」という牛島司令官の句について「皇国史観そのもの」と批判。一緒に載っている桑江良逢臨時第1混成群長(当時)の訓示の中に、「風土・郷土防衛のために散華」という文言があることも疑問視した。

 「沖縄戦は、国体護持のための時間稼ぎの持久戦が任務で、『郷土防衛』とは無縁の作戦だった。それを公式ページに堂々と入れているのは、歴史改ざんを組織あげて取り組んでいるということだ」

 桑江氏は退官後の08年にも第1混成団(15旅団の前身)の団長らと一緒に、牛島司令官らを弔う糸満市摩文仁の「黎明之塔」を「参拝」していたことが確認されている。

 大久保事務局長は「組織ぐるみの歴史戦」と指摘し、「県民を捨て石にしたトップの辞世の句は即刻削除すべきだ」と求めた。 

(南彰)