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沖縄戦を指揮、牛島司令官の「辞世の句」 陸自15旅団がHPに掲載 識者「日本軍につながる」


沖縄戦を指揮、牛島司令官の「辞世の句」 陸自15旅団がHPに掲載 識者「日本軍につながる」 牛島満司令官
この記事を書いた人 Avatar photo 南 彰

 那覇市に拠点を置く陸上自衛隊第15旅団が公式ホームページで、沖縄戦を指揮した日本軍第32軍牛島満司令官の辞世の句を掲載していることが分かった。15旅団によると、2018年に公式ページを更新した時から載せていた。識者は、戦略持久戦などを展開して県民を犠牲にした日本軍と自衛隊のつながりを示し、美化するような内容を疑問視している。

 牛島司令官の辞世の句が載っているのは、15旅団の沿革を紹介するページ。1972年5月の日本復帰時における臨時第1混成群長の桑江良逢氏(2010年死去)の訓示と共に掲載されている。

 「沖縄作戦において風土・郷土防衛のために散華された軍官民20余万の英霊に対し、この決意を誓うとともに御霊安かれと祈念する次第である」と締めくくった桑江氏の訓示に続く形で、「牛島軍司令官辞世」と書かれた画像を載せている。画像には「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」という辞世の句と桑江氏の署名がある。

陸上自衛隊第15旅団の公式ホームページに掲載されている日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句。辞世の句の前には、桑江良逢臨時第1混成郡長の訓示が載っている

 15旅団総務課によると、牛島司令官の辞世の句は2018年に旅団のページを更新した際から掲載していたという。「訓示にはなかったが、桑江氏がこの言葉に強い思いがあったと聞き、載せたようだ」と説明している。

 旅団の公式ページに私的な思いを載せる是非や日本軍との連続性についての見解を5月9日から求めたが、15旅団は6月2日現在回答していない。

 自衛隊史に詳しい佐道(さどう)明広中京大教授は「陸上自衛隊は、戦前の軍部支配のようなことが繰り返されないように、なるべく日本軍との関係を持たないようにつくられた。第32軍とのつながりを示すとはどういうことなのか」と疑問視した。

 15旅団を巡っては、2004年以降、旅団長らが毎年6月23日に牛島司令官らを弔う糸満市摩文仁の「黎明(れいめい)之塔」に行き、「私的」と言って「参拝」していた。しかし、防衛省陸上幕僚監部が部内で旅団長の「参拝」に関する報告文書を作成していたことが22年に発覚。識者から「『私的』の範囲を逸脱している」との指摘が上がり、中止されている。 

(南彰)

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