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捕虜許さず突撃命令 皇国史観の下 犠牲多数 川満彰<日本軍と自衛隊 牛島司令官 辞世の句>中


捕虜許さず突撃命令 皇国史観の下 犠牲多数 川満彰<日本軍と自衛隊 牛島司令官 辞世の句>中 98高地にある大日本帝国の長勇参謀長との第32軍司令官牛島満中将の墓の前に立つ日本人捕虜。写真は心理作戦班の依頼により撮影された=1945年6月28日(沖縄県公文書館所蔵)
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 50数万人とも言える住民を巻き込んだ沖縄戦。戦略的な戦闘を終えて来年で80年という大きな節目を迎える。住民戦没者数は未だに不明で、4人に1人が犠牲になったとしか言いようのない状況が続く。

 年々と戦争体験者が減少していくなか、自衛隊配備強化、日米合同演習、台湾有事に備えた宮古・八重山諸島住民の疎開計画など、再び沖縄戦前夜を想起させるような政策や発言が目立ってきた。他方、学校教育現場では、沖縄戦をはじめとしたアジア太平洋戦争を学ぶ機会も少なくなり、人々が学ぼうとする気力が失われつつあると感じる。

戦死者を冒涜

 陸上自衛隊第15旅団のホームページに掲載されている第32軍司令官牛島満中将の「秋待たて/枯れ行く島の/青草は/皇国の春に/甦(よみがえ)らなむ」という辞世の句。陸上自衛隊幹部候補生学校が、沖縄戦について『日本軍が長期にわたり善戦敢闘し得た』との表現を教育要領に記載していた問題。これら自衛隊幹部の言動は沖縄戦で犠牲となった住民だけでなく、戦死した日本兵士をも冒涜(ぼうとく)することで、決して許されることではない。

 掲載されている辞世の句は、牛島満司令官が敗戦間近の6月18日に摩文仁の第32軍司令部壕で生き残った兵士に解散命令(=総攻撃)を出し、その翌日に大本営及び第10方面軍司令官安藤利吉大将(第32軍の統括)に送った決別電報の一部である。決別文は約510字の文章と二つの辞世の句で成り立つ。その内容は「大命ヲ奉シ」から始まり、全軍をあげて敵の撃滅に徹し勇猛果敢に戦ったが3カ月間に及ぶ全軍の奮闘努力にもかかわらず、我々の陸海軍を圧する敵の物量にはかなわず、最後の別れがきた。〈中略〉「上 陛下に対し奉り、下国民に対し、(敗戦となること)真に申訳なし」。「茲(ここ)に残存手兵を率ヰ、最後の一戦を展開し一死以て御詫び申上くる次第なるも」と、生き残った兵士を率いて死んでお詫びをすると述べていた。また「最後の決闘にあたり、既に散華(さんげ)せる摩下(きか)数万の英霊(すでに戦死した部下数万の魂)と共に、皇室の弥栄(一層の繁栄)と皇国の必勝とを衷心(ちゅうしん)(心底)より祈念しつつ」とし、「離島各隊あり 何卒宜敷く御指導賜り度、切に御願ひ申上く」と述べている。司令官は負け戦と知りながら全兵士に捕虜となることを許さない殲滅(せんめつ)を企て、第10方面軍に対し、自らの死後「離島各隊」を最後まで指揮して欲しいという主旨であった。

 さらに文末では、これまで平素から我が第32軍を支えてくれた「各上司各兵団に対し、深甚(しんじん)なる(心より深く)謝意を表し」「以て訣別(けつべつ)の辞とす」と締めくくっていたのである。その後に続く二つの辞世の句は、(1)「矢弾(やだま)尽き/天地(あめつち)染めて/散るとても/魂還(たまかえ)り魂還りつつ/皇国(みくに)護らん」。前述した問題の(2)「秋待たて/枯れ行く島の/青草は/皇国の春に/甦らなむ」と詠っている。(1)の句は「矢も弾も尽き果て命を失っても、我が魂は必ずや故国へかえり、天皇の国(=国体護持)を護る」とし、(2)の句は「秋を待たずに朽ち果てた沖縄島、生き残った人々は皇国が息吹くなかで再びよみがえるであろう」という主旨である(筆者訳)。決別文は全てにおいて軍国・皇国史観に染められていた。

報復攻撃

 牛島満司令官が決別文を打電した前後を振り返ってみたい。5月下旬に首里城真下にあった第32軍司令部壕から南部へ撤退した司令官は、30日に摩文仁の司令部壕に到着。その後、周辺では米軍の猛攻撃が始まり、混在していたおびただしい数の住民が犠牲となった。6月18日、米陸軍指揮官のバックナー中将が戦死すると、日本軍はさらに激しい報復攻撃にさらされ、司令官はそのさなかに「…最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」と、死を以て解散する命令(=総攻撃)を下したのである。この命令で多大な兵士が戦死し、多くの鉄血勤皇隊や看護隊の少年少女たちも犠牲になった。ひめゆり学徒隊では戦場に立たされ亡くなった136人中117人が命令後に死亡、もしくは行方不明となっている。そして翌19日、牛島満司令官は自身の有終の美を飾るかのように皇国の安泰を憂い、沖縄戦を聖戦とする決別文を打電した。このような皇国史観の下で動員、戦場に立たされた住民は「軍隊は住民を守らない」という教訓を得たのである。

軍隊は住民守らず

 2004年、防衛省トップの統合幕僚長会議元議長栗栖弘臣は著書のなかで「今でも自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い。〈中略〉国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命(「警察法」)であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない」と述べ、「自衛隊は『国の独立と平和を守る』(「自衛隊法」)のである。この場合の『国』とは、我が国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国柄、天皇を中心とする一体感を享有する民族、家族意識である。決して個々の国民を意味しない」(石原昌家『援護法で知る沖縄戦認識』)とはっきり述べている。栗栖元議長の軍国・皇国史観は牛島満司令官と同一であろう。

 歴代の防衛大臣や自衛隊幹部らが持つ軍国・国家(=皇国)史観は、安倍・菅・岸田内閣のなかで有事法制が次々と整備され、防衛予算が4兆円と膨らみ、武器輸出3原則がなし崩しにされたことでますます強固なものとなり、戦争を正当化・美化する行動や発言が露出してきたと考える。

 ウクライナでの戦争、イスラエルによるガザ地区侵攻を見ても、いったん戦争が始まると終わりが見えなくなる。自衛隊も含め、誰ひとりも戦場へ立たせてはいけない。

沖縄国際大非常勤講師
川満 彰

 かわみつ・あきら 1960年生まれ。沖縄国際大非常勤講師。主な著書に「沖縄戦の子どもたち」、共著に「続・沖縄戦を知る事典」など。