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【識者評論】平時から戦の準備進めた サイパン陥落80年 今泉裕美子氏(法政大教授)


【識者評論】平時から戦の準備進めた サイパン陥落80年 今泉裕美子氏(法政大教授) サイパンの「おきなわの塔」=2014年撮影
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 上運天賢盛さんのような年齢でサイパン戦を経験した帰還者は、1943年に入るまで戦争の緊迫感はなかったと語る。平時はどうであったのか。

 委任統治は、日本の防衛目的のための軍隊配備や施設建設は禁止したが、海軍は駐在武官を常駐させて南洋庁と連携、日本の国際連盟脱退後は軍事施設建設を本格化させた。海軍は住民との交流も図り、艦隊が寄港するたびに講演会、軍楽演奏会、武道や野球の対抗試合があった。在郷軍人会は、地元の会社役員や中小商工業者を幹部に据え、軍事知識の増進や錬成、青年団などと記念行事や訓練を行った。

 島を網の目のように分割しつくした南洋興発のサトウキビ農場は、厳しい管理下にも移民同士が豊かな共同を育んだが、戦時には過酷な動員の対象となった。

 満州事変以後、周辺海域で始まる海軍演習、「海の生命線南洋群島」の喧伝(けんでん)は、仮想敵国米国の脅威や敵対心をあおる一方、海軍が守る生命線は安全、との認識も生んだ。

 この生命線が破られ、サイパンは陥落した。新聞は地元民間人が「太平洋の防波堤」の決意で日本軍に協力し全滅、と称賛する。実際は全滅ではなく、南雲司令官が徹底抗戦を呼びかけて自決、7月7日のバンザイ攻撃以後軍民にさらなる犠牲を生んだ。

 現在、戦時に関わる法律が準備され、「戦争は嫌だが、起きてもしょうがない」という声がある。脅威とみる国との関係を短い時間軸で地政学的な見地だけから捉え、戦争を自然現象のようにみる問題がある。

 上運天さんの「戦争は始まったら最後」から学ぶには、平時と戦時の関連、軍事―行政―仕事・くらしのつながりに目を凝らし、「二度と戦争を起こすな」の願いの継承は、太平洋島しょの人々との慰霊と交流を通じて軍事植民地化の経験を共有することにあるのではないか。