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降下トレーラーで少女圧死、1965年読谷 友人を亡くした東さん、嘉手納「降下訓練」強行に怒り 沖縄


降下トレーラーで少女圧死、1965年読谷 友人を亡くした東さん、嘉手納「降下訓練」強行に怒り 沖縄 当時の事故写真を指さしながら降下訓練の危険性を訴える東智子さん=5月16日、うるま市内
この記事を書いた人 Avatar photo 金盛 文香

 「どのような声を上げたら聞いてくれるのか」。県や地元自治体が繰り返し中止を求める中、米軍は8日に嘉手納基地でパラシュート降下訓練を強行した。東智子さん(70)=うるま市=は1965年に読谷村で起きた、米軍の降下訓練の事故で友人を亡くした。降下訓練の危険性を訴え、米軍に日常を奪われ続ける状況に憤る。

 65年6月11日、米軍が読谷村の読谷補助飛行場でパラシュート降下訓練を実施した際、降下されたトレーラーで少女が圧死した。東さんは当時小学6年生。「誰かがつぶされた」との声が聞こえ、自宅から近い事故現場へ歩いて向かった。

 「隆ちゃんだってよ」。大人たちの声が聞こえた。亡くなったのは同じ喜名小学校に通っていた5年生の棚原隆子さん。現場の様子はほとんど覚えていないが「大混乱だった」ことは忘れない。「相当ショックだった」

 同時に「自分だったかもしれない」と顔が青ざめた。当時、降下訓練は頻繁に実施されていた。東さんの自宅玄関脇に米兵が降りてきたこともある。「人であれトレーラーであれ、パラシュートは風に流される」と事故の危険性を指摘する。繰り返される嘉手納基地での降下訓練に「何か起こってからでは遅い。米軍は沖縄の住民なんか目に入ってない。日本政府も黙認している」と憤る。

 「米軍はどんなことをしても許されると思っているのではないか。怒りという言葉では足りない」。最近になって明らかになった、米兵による性的暴行事件の続発に触れ、過重な基地負担にため息がこぼれる。

 現在、うるま市に住む東さん。「陸自の勝連分屯地にミサイルが搬入された。米軍は嘉手納でパラ訓を常態化させて無人偵察機も使っている。戦争がすぐそこまで来ている感じがする」と日米の軍備強化に危機感を抱く。

 うるま市内の抗議行動などで声を上げる東さんは、65年の事故が「原点だ」と語る。「当時から米軍は変わらない。今でも少しずれれば命を落とす状況がある」と不安は消えない。「声を上げ続けないと。諦めることはできない」と行動を続ける。

 (金盛文香)