「どのような声を上げたら聞いてくれるのか」。県や地元自治体が繰り返し中止を求める中、米軍は8日に嘉手納基地でパラシュート降下訓練を強行した。東智子さん(70)=うるま市=は1965年に読谷村で起きた、米軍の降下訓練の事故で友人を亡くした。降下訓練の危険性を訴え、米軍に日常を奪われ続ける状況に憤る。
65年6月11日、米軍が読谷村の読谷補助飛行場でパラシュート降下訓練を実施した際、降下されたトレーラーで少女が圧死した。東さんは当時小学6年生。「誰かがつぶされた」との声が聞こえ、自宅から近い事故現場へ歩いて向かった。
「隆ちゃんだってよ」。大人たちの声が聞こえた。亡くなったのは同じ喜名小学校に通っていた5年生の棚原隆子さん。現場の様子はほとんど覚えていないが「大混乱だった」ことは忘れない。「相当ショックだった」
同時に「自分だったかもしれない」と顔が青ざめた。当時、降下訓練は頻繁に実施されていた。東さんの自宅玄関脇に米兵が降りてきたこともある。「人であれトレーラーであれ、パラシュートは風に流される」と事故の危険性を指摘する。繰り返される嘉手納基地での降下訓練に「何か起こってからでは遅い。米軍は沖縄の住民なんか目に入ってない。日本政府も黙認している」と憤る。
「米軍はどんなことをしても許されると思っているのではないか。怒りという言葉では足りない」。最近になって明らかになった、米兵による性的暴行事件の続発に触れ、過重な基地負担にため息がこぼれる。
現在、うるま市に住む東さん。「陸自の勝連分屯地にミサイルが搬入された。米軍は嘉手納でパラ訓を常態化させて無人偵察機も使っている。戦争がすぐそこまで来ている感じがする」と日米の軍備強化に危機感を抱く。
うるま市内の抗議行動などで声を上げる東さんは、65年の事故が「原点だ」と語る。「当時から米軍は変わらない。今でも少しずれれば命を落とす状況がある」と不安は消えない。「声を上げ続けないと。諦めることはできない」と行動を続ける。
(金盛文香)