広島市立基町高校の生徒たちは被爆体験者からの聞き取りを基に描く「原爆の絵」の制作に取り組んでいる。
広島平和記念資料館が若い世代への継承や被爆の実相の記憶を残すことを目的に2007年から始めた。これまでに207作品が完成している。無数の閃光(せんこう)とともにオレンジ色に染まる空や防空壕から見た黒い雨、熱線による大やけどなど、証言者の記憶に残る光景を高校生が継ぎ、平和の尊さを学ぶ。
「被害の数字だけでは伝わってこなかった、証言者一人一人の人生があった」。原爆の絵を描くために同校への進学を決めた樋口文美菜さん(18)は振り返る。熱線で背中や、両脚のふくらはぎからかかとまで大やけどを負った女性の姿を描き上げた。
8カ月間、女性の息子である証言者から何度も聞き取りを重ね、時にはそばに付いてもらいながら制作を進めた。幼いころにテレビや漫画で見聞きしていた「あの日」が、自分ごとになっていくのを感じた。生徒たちの作品は資料館のホームページで公開されている。樋口さんは「日本もそうだが、外国人なら言葉で伝えるのが難しい光景を、絵なら理解を深めてもらえるのではないか」と話す。
米軍トラックに投石し、泣きながら逃げる人を描いたのは福政勇樹さん(17)。原爆で父を亡くした遺族の米軍への恨みが表現されている。今も残る憎しみ、怒りがひしひしと伝わってきた。絵の題材は原爆投下から2年後。「原爆は、直接的な被害者ではない残された家族まで影響が及ぶ。その残酷さを学んだ」
原爆投下から79年。「互いに分かり合うことは大切かもしれないが、恨みを抜きにして歩み寄るのは違うな」と語り、平和を維持するバランスの難しさを感じている。
被爆者が減る中で、若い世代が記憶を語り継ぐにはどうすべきか。「私の場合は描く。ほかには文字で書く、それぞれの得意な方法で残していくことが大事だ」と福政さんは語る。
樋口さんは「ちょっとしたきっかけを自分でつくる。学ぶ方法はたくさんあふれているから」。継承に向け、共に前を見据える。
(新垣若菜)