7月25日の「アクション沖縄」キックオフイベントで、父はインド出身、母が県出身というミックスルーツで琉球大学非常勤講師の山城莉乃(りんだ)さん(50)が国籍法の改正により日本国籍を得た経験を紹介した。国際的な取り決めや国の制度、法律が個人の生き方にどのように関与するのかを、山城さんの経験を通して考えた。
1979年に国連で採択された女性差別撤廃条約(CEDAW)を日本が批准するには、父系血統主義だった国籍法改正などの法整備が必要とされていた。改正前の国籍法は父親の国籍しか継承できなかった。
山城さんはインドの国籍を持っていたが、沖縄では「無国籍児問題」の解消を求めた運動があった。米軍人と地元女性の間に生まれ、両親の離婚や父親の帰国などにより国籍を得られない子どもが多くいた。米軍基地の集中から派生する問題の解消策として改正を求める声が高まった。
85年に法改正され、父母どちらの国籍も取得できるようになり、山城さんも日本国籍を得た。「声を届ける場所があり、子どもたちのために頑張ってくれた人がいた。当時の運動に感謝している」
山城さんは国籍法の改正は「単純なジェンダーの問題ではない」と指摘。日本では国際結婚の当事者らによる男女平等を求めた運動だった一方で、沖縄では「ミックスルーツの問題でもあり、(米軍基地の集中など)沖縄の置かれている立場の問題。生存権に関わる大きな問題だった」と比較した。
かつての沖縄での取り組みは、10月のジュネーブの会合に向けた女性たちの動きと重なって映る。「CEDAWという仕組みがあったおかげで今の自分がいる。当時頑張ってくれた女性たちから学び、恩返ししたい」
(慶田城七瀬)