取材で初めて会う人に自己紹介をすると「珍しい姓ですね」と言われる。その後のやりとりを想定してつい身構えてしまう。父方の姓であることを伝えると「ということは…」と結婚した姓なのかを問われることになるからだ。
極力こちらの話題にならないように、相手に質問を投げ続け取材を終えようとするのだが、その問いは油断した隙にやって来る。40代になって20、30代の頃のようにはもう聞かれないだろうと思っていたため、不意に後ろから頭を小突かれたような気になる。
記者に親しみをもち会話の糸口を探っていると好意的に受け止めているが、質問した人に限らず、人はなぜ他人の婚姻や子の有無が気になるものなのかと思う。ある芸能人が事実婚で子どもを授かったニュースが流れた際に「未婚の母へ」と見出しをとった報道があり、余計なお世話…と絶句した。
長年議論が続いている選択的夫婦別姓の導入について、総裁選や総選挙で重要課題に再浮上し、国連の女性差別撤廃委員会でも話題になった。姓を変えた時の苦労や自身のアイデンティティーに悩む人の話題などが報じられた。
制度はものの見方や無意識の偏見をつくるもとになる。結婚後に改姓しないことを選べたら、名乗った姓から婚姻状況を探られることもないのでは―。そう考えるようになった。誰かにとって生きやすい社会は、私にも生きやすくなるはずだと信じている。