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「出征の家」で奉仕作業 大城勇一さん(91)・宜野湾市 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>4


「出征の家」で奉仕作業 大城勇一さん(91)・宜野湾市 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>4 南風原町の「慰霊祈和の塔」。この地に戦前、忠魂碑があった
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 南風原国民学校(現南風原小学校)に通っていた大城勇一さん(91)=宜野湾市=は現在の南風原小の向かいに忠魂碑があったことを覚えています。現在、この場所に慰霊祈和の塔と南風原町平和の礎が建っています。

 戦死者を顕彰する忠魂碑は日本全国に建てられました。戦死者を追悼するだけでなく、戦死者を美化し、銃後から戦争を支える社会をつくる機能も果たしました。

 沖縄でも日中戦争で出征し、戦死した人が顕彰されました。県内には現在、沖縄市美里や座間味などに忠魂碑が残されています。

 大城さんが暮らしていた南風原村(現南風原町)照屋でも若い男性が出征していきました。地域の子どもたちは、どの家で働き手の男性が出征したのか知っていました。目印があったのです。

 「当時、『出征兵士の家』ということで家に立て札がありました。出征して国のために働いているということを伝えたかったのでしょう。僕ら子どもたちは小学3、4年生になると、『出征兵士の家』で奉仕作業をさせられました」

 作業はサトウキビの下葉を刈るなどの畑仕事です。高等女学校の生徒も奉仕作業に訪れたといいます。

 照屋から戦死者も出ます。大城さんは覚えていませんが、「照屋が語る沖縄戦」(南風原町教育委員会、1994年)には照屋の戦死者を弔い、忠魂碑の前で村葬を執り行ったことを紹介しています。