prime

近世の琉球史研究を前進 真栄平房昭さんを悼む 深澤秋人(沖縄国際大学教授)


近世の琉球史研究を前進 真栄平房昭さんを悼む 深澤秋人(沖縄国際大学教授) 神戸女学院大学教授時代の真栄平房昭さん=2008年(遺族提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 外部執筆者

 昨年12月30日、琉球史研究を牽引してきた真栄平房昭先生が67歳で逝去された。真栄平先生は神戸女学院大学や琉球大学の教授を歴任し、近世を中心に琉球をめぐる東アジア交流史の研究に一貫して取り組んでこられた。一方、机上の学問だけでなく、歴史の現場に立つフィールドワークを大切にされたことはご単著『旅する琉球・沖縄史』(ボーダーインク、2019年)からも垣間見える。

 先生とのお付き合いは調査旅行の思い出が多い。はじめてご一緒したのは1999年の沖縄県歴代宝案編集事業の一環での鹿児島調査だった。2001年には共同研究による福建調査で福州・甫田・泉州を縦断した。結果的に2018年の久米島調査が最後の機会となった。古文書をいとおしむように閲覧されていた。

 代表的著書に『琉球海域史論』上下巻(榕樹書林、2020年)がある。1980年代から30余年のあいだに公表した論文をテーマ別に再構成した論文集である。考察は前近代史に限定されず近代にも及ぶ。その内容を紹介したい。

 上巻のサブタイトルは「貿易」「海賊」「儀礼」である。琉球士族の土地所有は国内外への役務経験を基準とすると述べた「旅役」知行制の概念は、個人貿易の検証とともに研究動向に大きな影響を与えた(初出1984、86年。以下、年次は初出)。論文集では中国からの輸入品でも主力商品や威信材を論じたが、未収録の論文では、農具・衣料品など生活用品が大衆消費財として輸入されたことを扱っている(2003年)。

 下巻のサブタイトルは「海防」「情報」「近代」である。太平天国情報の琉球ルートでの日本への伝播(でんぱ)について、史料を丹念に発掘し、歴史的意味に言及したことで、琉球史のみならず日本近世史研究を大きく前進させた(1987年)。また、琉球は幕末維新期の日本の政治動向から孤立していたわけでなく、緊迫する情報が伝播し、戊辰戦争では薩摩軍への軍需物資の供給や琉球の神々への戦勝祈願が行われたことを指摘した(2001年)。なお、上巻の「儀礼」では、明治天皇が尚泰を琉球藩王に「冊封」した翌年、琉球にも伊勢神宮の神札が配布されたことを扱っている(1991年)。早い段階から近代を研究の射程に入れていたことがうかがえる。

 論文集で「史料論」はテーマとして設定されていないが、未収録論文には評定所文書に関する成果がある(1990年)。評定所文書は王府中枢機関である評定所で管理されていた。明治政府による接収のあと内務省が作成した「旧琉球藩評定所書類目録」を分析した結果、評定所が現用文書の検索のため案件を要約した文書目録では、鹿児島琉球館と王府の往復文書のそれが半数を占めることを明らかにした。史料群の原秩序と文書管理を検討するうえで、今日でも有効な指摘といえよう。さらに、下巻の「近代」では、尚家文書1103号文書(那覇市歴史博物館蔵)を用い、首里城に保管されていた外交文書集『歴代宝案』238冊を東京へ送付した際の手続きにも言及している(2018年)。

 ここ数年は病で思うにまかせぬ日々が続いたと思う。そうしたなかでも時折お手紙をくださるのは先生からだった。こちらは返事を書くことしかできなかった。

 先生、私は最近、奄美諸島の市町村史に関われました。刊行後に重要なご論考を1件引用していなかったことに気づきました。受け取ってご批正くださいますか。ご冥福を心よりお祈りいたします。

 (沖縄国際大学教授)