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能登半島地震 問われる報道の真価 課題発見、解決提言も役割<山田健太のメディア時評>


能登半島地震 問われる報道の真価 課題発見、解決提言も役割<山田健太のメディア時評> 生き埋め情報が寄せられた石川県輪島市の住宅を捜索する警察官ら=4日午前11時51分
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 2024年は、衝撃的な大災害や航空機事故から始まり、名護市辺野古の新基地建設で昨年末になされた代執行に基づく軟弱地盤区域への土砂投入が行われるなど、気の重い年明けだ。本稿は1日に発生した能登半島地震を巡っての震災報道について取り上げる。石川県能登地方を震央とする最大震度7を記録したもので、地元の北國新聞では「1・1大震災」と呼んでいる。

時期による役割

 震災報道は、発災からの時間の経過に応じ役割に違いがある。11年3月11日の東日本大震災(以下、3・11)での報道検証などから、発災直後2~3日間、1週間程度、1カ月程度およびその後と分けることが可能だ(拙著『311とメディア』参照)。

 最初は、被害の実態とりわけ全容をいち早く正確に伝える報道が中心となる。それがそのまま救出活動や支援等にも直結するからだ。とりわけ、行政機能がダウンしている可能性が高い中、最大被災地や孤立集落を割り出し、その状況を取材・報道する力は、日常的に取材ノウハウを有していて、すぐに現地に特派可能なヒトと、移動手段としてのヘリコプターや車といったモノを調達可能な、「マス」メディアである新聞社やテレビ局ならではの強みだ。こうした「瞬発力」は、今回の地震でも一定程度発揮された。

 一方で、次のタイミングにおいては、メディアの力が十分に生かされていないのではないか。現在進行形の報道でよくみられる「助け合って頑張っている」との現場リポートは、被災者に我慢や絆を押し付ける結果になってはいないか。発災後の現場の頑張りに期待しそれで苦難を乗り越えるという構図が変わらず、国・自治体としての事前の体制作りが一向に進まない日本の状況を、報道も含めた社会全体が許してしまっている側面がある。誤解を恐れずに言えば、この時期に「美談」報道は不要だと考えるが、新聞もテレビも「当事者の声を拾う」という名目で、こうした報道が増えている。

情報偏在の課題

 また、この時期の取材はメディア不信を助長する可能性が高いことを、記者自身が自覚する必要がある。救助作業中に取材ヘリが低空飛行し、その騒音で救出の邪魔をするといったことはさすがになくなったようだが、特定の避難所等への集中取材や、被災者の感情を害する行為は今回も起きがちだ。一番大変な孤立地域は取材が行けないために情報空白地帯となり、アクセスがしやすい地点へ取材が増えて発信情報が集中する、情報偏在が生じるという現象もある。これらは取材する側の意識によって変えられる課題でもある。

 そして今後は、とりわけ地元紙やローカル局にとって、いかに前向きな報道をするかも課題になる。震災関連死を生まないためにも、極度の緊張感が解けた時の虚無感を克服し、立ち直りに向け住民の生活に根差した報道が期待されることになる。新聞で言えばこれまでも一般に、全国紙が凄惨(せいさん)さや被害の大きさを強調したり、節目ごとの記念日報道になったりしがちなのに対し、地元メディアほど安心を与え気持ちを明るくする報道がなされてきた傾向がある。どこまで意識的かは別として大切なことだろう。

SNSでのデマ

 3・11との決定的な違いはSNSの普及・定着である。それはデマの拡散という点で負の要素にもなる。今回の場合、初期段階で広範に広がり問題視されたものとして二つ挙げられる。都市伝説の類いで今回の地震が人工的に起こされたものであるというものと、虚偽の救出要請とその拡散である。このいずれにおいても、一部の意図的(場合によっては悪意を持った)書き込みが発端になるわけだが、その際の要因の一つはアクセス数稼ぎの過激な書き込みという、いわばビジネス的側面だ。

 一方でのメリットは、3・11ではGoogleの安否情報サイトなどが話題になったが、今回もYahoo!とLINEが共同で「災害マップ」をいち早く公開し、しかも他のメディアとのコラボレーションを呼び掛けつつ、情報を付加し続けている。被災地域住民からの当事者情報をベースにしている仕組みで、フェイク情報遮断の方法としてアナログ的ではあるが効果を発揮しそうである。

 NHKも、取材情報をネット上に生かし、1週間後の7日にはライフライン情報を地図上にマッピングした「能登半島地震 避難所・給水所マップ」を開設している。ただし報道機関としては、こうした住民にとって必要不可欠の生活情報の伝達とともに、なぜライフラインが届かないのかという詰まりの箇所と原因をいち早く発見し、解決を提言することが重要だ。読者・視聴者は「救出が進まない、救援物資が届かない」だけではなく「なぜ、ないのか」の報道を期待する。

 また、こうした天災の場合は特に被害者名などの公共基礎情報を社会で共有することが不可欠だ。今後の犠牲者報道においても、昨今の被害者匿名の風潮とどう向き合うかが問われる。

番組編成に違い

 在京のテレビ放送は、通常番組から順次、緊急特別放送に切り替え、予定されていた正月特別番組は放送を中止した。また一部のCMも放送自粛が行われた。北陸地方にネット局がないテレビ東京でも報道特番が行われたが、約40分後には通常編成に復帰、これに対しネット上では「感謝」という反応が見られたりもした。ほかの局でも大津波警報が解除された午後9時以降特番を終了した中、TBSは日付が変わる翌2日未明まで報道特番を継続、NHKは2日の午後9時から通常番組に戻した。

 その特番の中では、NHKが3・11の教訓から、女性アナウンサーによる強い語調での津波避難の呼び掛けが目立った。民放も含め英語字幕の併用や、「テレビを見ていないで逃げる」よう呼び掛けるなど、津波避難に対する呼び掛けは徹底していた。一方で、3・11で問題となった現場の状況が見えない報道(東京のスタジオからの情報中心になる報道内容)の解消は今回も課題として残った。

 どの局も、固定のお天気カメラ(定点カメラ)などを活用して海岸線や中心街の状況を伝えたものの、現場の映像が入ってくるには時間を要した。民放が輪島市や珠洲市の映像やヘリの映像を流す中、NHKの初動の遅さが気になった。昨今の取材体制見直しの中でローカルエリアの人員縮小や拠点局への集中によって、地元取材を担う力が弱体化していないか慎重な検証が必要だ。

 現在、テレビとりわけ公共放送の価値として災害報道が挙げられることが多いが、石川県の一部地域では中継局の非常用電源が途絶え、テレビ・ラジオが視聴できない状態も発生し、一部は現在でも不通だ。携帯電話も使用できないなど、通信・放送が遮断される中で、どのように情報を収集し届けるか、まさに公共的な役割を果たすメディアの真価が問われている。

(専修大学教授・言論法)


 本連載の過去の記事は本紙ウェブサイトや『愚かな風』『見張塔からずっと』(いずれも田畑書店)で読めます。