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【深掘り】発信続けた「負担軽減」、辺野古移設は「容認」 宜野湾市の松川市長急逝 政府は次期市長選を注視


【深掘り】発信続けた「負担軽減」、辺野古移設は「容認」 宜野湾市の松川市長急逝 政府は次期市長選を注視 宜野湾市長選で再選を確実にし、家族と喜ぶ松川正則氏(右)=2022年9月11日、同市の選挙事務所
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 急逝した松川正則氏は長年返還が焦点となってきた米軍普天間飛行場が立地する宜野湾市のトップとして、基地負担の軽減で発信を続け、名護市辺野古移設についても影響力があった。辺野古移設を巡っては「容認」を明確に打ち出し、政府は地元の市長が容認していることを後ろ盾に移設を加速させてきた。辺野古移設推進の方針を堅持する政府は、移設計画への影響は現時点で「限定的」と見るが、次期市長選の結果によっては影響が出かねないため、動向を注視する。

 松川氏は2018年の市長選で初当選した。2期6年の在任中は、市中央部を占有する普天間飛行場の返還や基地から派生する諸問題への対応に追われた。市長に近い関係者は「(米軍関係の)事件や事故のことで政治的な悩みも多かった」と振り返った。

 辺野古移設を巡っては1期目の19年に容認の立場を明確に表明した。受け入れ側の名護市の渡具知武豊市長も移設の是非を明らかにしない中で、政府としては貴重な存在だった。沖縄勤務経験のある防衛省関係者の一人は「バランスを取って(移設阻止を掲げる)知事とも対話しつつ、よく進めてきた方だった」と振り返った。

 普天間飛行場の早期返還のために唯一の解決策が辺野古移設だとの立場を取る政府にとって、宜野湾市長の移設容認表明は工事を進める大義名分となった。松川氏の死去による移設事業への影響について先の関係者は「次が誰になるのかによる。そういう意味では市長選は防衛省にとっても重大だ」と語った。

 松川氏は1996年に日米が普天間飛行場の返還に合意して以降、6人目の市長だ。2012年には保守系の佐喜真淳氏が革新系から市政を奪還し、18年に初当選した松川氏は保守市政を継承した。保革問わず長年の課題である早期返還を訴えてきたが、今も実現していない。

 相次ぐ外来機の飛来や有機フッ素化合物(PFAS)汚染など基地から派生する問題は深刻さを増しており、次期市長は引き続き重い責任を負うことになる。

(知念征尚、明真南斗)