6日朝、佐喜真淳氏(60)の選挙事務所。「このままだったら負けてしまう」。期日前投票の出足が鈍いことから開かれた緊急会議でげきが飛んだ。
佐喜真陣営は過去の選挙結果から市内の革新系勢力は2万票の基礎票があるとみていた。自民を中心とした保守系勢力は革新系に基礎票は及ばないものの、運動が活発化するほど票が集まると分析。投票率が低くなれば自陣の運動不足を示すことになる。運動の中心となる与党市議団に、再度地域回りを徹底する指示が飛んだ。
これに加え、市外の保守系議員も手ぶりや電話作戦などで加勢。一人で数百票の集票カードを持ってきた首長もいた。企業も「仕事がなかった革新市政に戻すな」と積極的に支援した。結果、約8千票差の大差につながった。
ただ、当初から大差での勝利は予想されてなかった。佐喜真氏は市長を途中辞職して2018年と22年の知事選に挑んだが、いずれも落選した。後援会の中では佐喜真氏の今後について、「国政」と「市長再挑戦」の声が挙がっていた。だが、関係者によると、佐喜真氏自身は「出戻り選挙」との批判が予想されることから、国政挑戦に傾いていた。
そこに前市長の松川正則氏の訃報が飛び込んできた。ある後援会関係者は「何もないのに出戻り選挙をしたら反感を買うが、松川氏の急逝を受けた緊急登板なら市民は理解してくれる」と市長選への立候補を支持した。
8月の総決起大会で、登壇者は佐喜真氏よりも松川氏の名前を多く発し、その数は80回以上に達した。ムードは一気に「弔い選挙」。「出戻り」批判はなりを潜めた。
さらに佐喜真氏は米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設を容認した上で、松川氏が普天間飛行場の跡地利用に向けた政府への要請のさなかに死去したことを前面に打ち出した。跡地利用の推進を訴え、新基地建設の争点を薄れさせる戦略だった。
ある陣営幹部は西普天間住宅地区跡地に琉球大学病院が建設され、目に見える形で跡地利用が進むことで無党派層の支持が集まったとみる。「今回のような結果を出すために国は西普天間の跡地利用を急ピッチで進めてきた。ようやく成果が表れてきた」と強調した。
(’24宜野湾市長選取材班)