パレスチナの人々へのジェノサイドが止まらない。米国が武器や資金提供で可能にし、イスラエルが実行している民族浄化である。世界が見ている前で民間人大量虐殺がもう1年近くも続いている。
ガザ保健省の発表では9月現在死者数は4万人を超えているが、7月初頭の医学誌「ランセット」は18万6千人という推計を出した。瓦礫(がれき)の下に埋もれた未発見の死者や、病院も破壊され薬もない中、不衛生な生活環境で食糧もなく病気で死ぬ間接的死亡数を入れている。
あれから2カ月殺戮(さつりく)は続き、今20万人はゆうに超えていてもおかしくはない。
7月24日、ネタニヤフ首相はワシントンの米連邦議会で演説し、イスラエルは民間人を標的にしていないとか、ガザに十分な食糧援助をしているとか、見え透いた嘘をつき続けた。現行の民間人大量虐殺の指導者を堂々と演説させること自体が異常だが、聞いていた議員たちが繰り返しスタンディングオベーションを行う姿には言葉を失った。米国議員は大多数がイスラエル・ロビーの資金に絡め取られている。この人たちは金で人間性さえ売ってしまったのか? 後世はこの歴史をどうつづるのか。
ジェノサイドの記憶において、日本も模範的とはいえない。この9月、1923年関東大震災後虐殺から101年を迎えた。震災後、関東全域で流言を流し、軍隊、警察、民衆が約6700人かそれ以上といわれる朝鮮人と、800人にも及ぶといわれる中国人、社会主義者等を惨殺した。言葉が違うなどで日本人や沖縄人を殺したケースもあった。背景には朝鮮の植民地支配と、抵抗運動への弾圧があった。この事件は日本の植民地犯罪の中でも突出した、世界史にも深く刻まれるべき、大規模なヘイトクライムだ。
それなのに日本政府は謝罪し責任を取るどころか、公文書も多く存在する史実さえ認めようとしない状態が続いている。国会では何人もの議員が質問しているが、政府は「調査した限りでは政府内に事実関係を把握できる記録が見当たらない」といって逃げ続けている。小池東京都知事も2017年以来、都内で開かれている追悼式に追悼文を出すことを拒否し続けている。これらもジェノサイド指導者への拍手喝采と同様、人間性を疑わざるをえない姿勢だ。
101周年にあたり、北米西海岸に拠点を持つ日系人の社会運動団体15団体で、日本政府に国家責任を求める声明を出した。私の住むカナダ・バンクーバーでは今月3日、日本総領事館前で追悼行事を行った。この行動を率いた16歳の高校生の落合ベックさんは、ジェノサイドの対象となった北米先住民族と、パレスチナ人と、日本の帝国主義の被害者と、共にある大切さを語った。バンクーバーの教会で牧師をつとめるイム・テビンさんは、当時16歳の祖父が追っ手を逃れて教会の牧師にかくまわれて助かったという話をしてくれた。その祖父が生き延びたから、今ここにイムさんがいる。歴史はここに生きている。
8月22日、沖縄では80年前の、米軍潜水艦の魚雷攻撃で784人の学童を含む1484人が殺された対馬丸事件の慰霊式が開かれた。沖縄戦の80周年を記憶する一年が始まっている。過去のジェノサイドを記憶することは、現在のジェノサイドを止めることに直結しなければいけない。ネバー・アゲイン。
(「アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)