夢は大きく 世界を目指す
創業から40年、沖縄県産の素材を生かした、色とりどりのお菓子作りを続けてきた株式会社ナンポー。コロナ禍中には、観光客向けのお菓子の需要が減少、苦境に陥った。その最中に同社の主力工場である港町工場の工場長に就任した砂川美由紀さんは、工場のスタッフと心を一つにしながら、ピンチをチャンスに変えるさまざまな取り組みを実施し、成果を上げた。日本を代表する菓子メーカーにナンポーを成長させたいという思いを胸に、現在も日々奮闘を続けている。
「工場のみんなはお菓子が大好きで、『おいしいお菓子を作りたい』という気持ちで、今、本当に工場が一つになっているんですよ」と明るい笑顔で話す砂川さん。
「コロナ禍で大変な時に、私を工場長として迎えてくれ、おいしいお菓子を作るために一緒に取り組んでくれるスタッフを誇りに思います」
仕事と子育て
出身は山口県。「小学校2年の時、母の誕生日にケーキを焼きました。母も喜んでくれて、自分もすごく楽しかったから、これを仕事にできたらと思って、小2でパティシエの道を選びました」と笑う。
高校卒業後、東京でパティシエの道へ。結婚後も、2人の子どもを育てながらパティシエを続けていたが、2014年、長女が年長になるタイミングで夫の故郷である沖縄へ。ホテルで働くも、「やっぱりケーキを作りたい」と16年にナンポー直営店のケーキカフェに就職した。
「そこでお菓子作りをしながら、本社の商品開発の仕事もやらせていただいて…。そのうち工場のほうに来ませんか、とお声がかかりました」
パティシエとしての経歴を生かして第二工場の工場長を務めた後、22年1月に港町工場の工場長へ抜擢された。
「子育てしながら、港町工場の工場長という職務を両立できるか不安でした。でも、将来子どもが大きくなったときに、子育てを理由にチャンスを逃したと子どもに伝えたらきっと悲しむと思い、決断しました」と振り返る。
「今では『自慢のお母さん』と言ってくれる子どもたちが私の気持ちを強くしてくれています」
おからビスケットを開発
港町工場の工場長に就任した22年は、コロナ禍中。観光客向けのお菓子作りは苦境に置かれており、スタッフの退職も相次いでいた。
もともと、港町工場のスタッフの困り事・悩み事の相談を聞いていたという砂川さん。お菓子作りのレシピを厳密にマニュアル化したり、既存商品のレシピを見直したりと、ピンチを逆手に新しい取り組みに挑み、成果を上げた。
観光のみやげ菓子だけに依存しない新商品の開発もその一つ。豆腐の製造時に生まれるおからを利用した「+TASUTO たすと おからビスケット」を開発した。おからには豊富なタンパク質が含まれるが、その多くが廃棄されている。フードロス軽減も視野に入れた商品だ。おからの有効活用に取り組む大学生(当時)の崎濱花鈴さん、知念杏珠さんの活動から刺激を受け、商品化に取り組んだという。
おから由来のタンパク質のほか、食物繊維も配合した。気を使ったのは、栄養素と味の両立だ。「体によくても、おいしくなければ次に買ってもらえない」と、30パターンもの試作を根気よく繰り返した後、ようやく味に自信の持てるレシピにたどり着き、8月に発売を開始した。「ナンポーの新しい転機となる商品になったと思うので、特別な思いがありますね」と感慨もひとしおだ。県内はもちろん、全国への販路拡大を目指す。
「ナンポーが日本を代表するお菓子メーカーになれるよう頑張ります。夢は大きく、世界へ羽ばたくこと(笑)」と意気込む。
(日平勝也)
(2023年11月16日付 週刊レキオ掲載)