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オーシッタイで木炭作りに挑戦中 吉松美咲さん


オーシッタイで木炭作りに挑戦中 吉松美咲さん 名護市源河のオーシッタイで、昔ながらの炭焼きに挑戦している吉松美咲さん。窯出し作業の直後、焼き上がった木炭を手に撮影に応じてくれた。後方には炭焼き窯も確認できる=今月中旬 写真・津波典泰
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

歩み出したばかりの炭焼き職人。
煙立つ作業現場を取材

「名護市源河のオーシッタイで炭焼きに挑戦している若者がいる」。そんな情報を得たのは今年の初夏。現地で活動していたのが愛知県出身の吉松美咲さんだった。レキオ記者が数回にわたって吉松さんの炭作りを取材。昔ながらの炭焼きの工程と、木炭の魅力をリポートする。

吉松さんが活動するのは、オーシッタイにある「まぁる農園」の敷地内。炭焼き窯は、まぁる農園が土地を管理する以前からその場所にあるものだ。

窯は山の斜面を利用した造り。内部は木炭になる原木を詰める部屋と、薪(まき)を燃やす部屋に分かれる。原木を直接燃やすのではなく、薪の燃焼で窯を温め、熱分解させることで木炭にする。

窯の中に入り、出来上がった炭を取り出す吉松さん。この時はモクマオウを原木に使用。火持ちの良さが特徴だ

何度も挑戦

記者が最初に現場を訪れたのは6月下旬。吉松さんが初めて一人で火入れ作業をする現場だった。

この日は梅雨明け宣言後だったが、まさかの大雨。火を起こすのも苦労した。雨にぬれながら作業した吉松さん。火入れにガスバーナーの使用を薦めた関係者もいたが、「まずはなるべく手作業で、火を扱う感覚を得たい」と断った。しかし、十分に原木が熱されなかったようだ。炭頭(たんがしら:炭に残った原木のままの部分)が出る結果となった。

吉松さんが利用する炭焼き窯。ガスや電気の普及以前、やんばるの山々にはこのような炭焼き窯が無数に存在した。出来上がった木炭は山原船を使い、海路で本島中南部に輸送されていた

再挑戦をしたのは10月になってから。天気にも恵まれ、スムーズに火入れは進んだ。窯内部が高温となった後、窯入り口をふさぐ「窯とじ」も無事にこなしたという。窯とじ後、一週間以上経過してから、木炭は取り出される。

今月中旬の窯出し作業では、窯の内部から、一つ一つ確かめるように、炭を取り出す吉松さんの姿があった。この日得られた木炭は約60キロ。手応えを感じる出来栄えだった。

炭が暮らしを豊かに

2021年に名護市に移住した吉松さん。引っ越し先の水道水の味が気になり、どうにかできないかと調べたところ、たどりついたのが木炭(備長炭)による浄水だった。手軽な方法ながら、効果的だったことで木炭への関心が高まったそうだ。農業、建築、土中環境の改良、水質の浄化…。炭は古来から多岐にわたって利用されてきた。そう知るのにも時間はかからなかった。

炭焼きを吉松さんにレクチャーしたのは、恩納村にある「障がい者就労支援事業所 希望が丘」の施設長・長田光一郎さん。同施設では就労支援事業として利用者が炭焼きに従事、木炭を販売している。吉松さんは前職が福祉関係だったこともあり、1年間、職員として働きながら炭作りについて学んだという。

吉松さんの炭焼きの“師匠”こと長田光一郎さん。窯後方の煙突をチェックし、内部の温度をうかがう

やればやるほど、奥深いという炭焼き。「細く長く」続けながら、今後は体験の場としても窯を活用したいそうだ。

炭の計量や袋詰めは、まぁる農園の関係者と近隣で働く人が協力した

「炭焼きをしていると、こんなに汗をかいてやれることがある、という充実感があります。すごくいきいきとした感じ。そんな気持ちで過ごせることがうれしいです」

1日の作業を終えたあと、他のものには代え難い感覚を、吉松さんは笑顔で伝えてくれた。

(津波典泰)

吉松さんが焼いた炭は、「羽地の駅」(名護市真喜屋763-1)に出荷している。袋に同封された「まぁる農園の炭焼きさん」というポップが目印

(※少量生産のため品切れの場合あり)

問い合わせ:misaki202305@g-mail.com

(2023年11月30日付 週刊レキオ掲載)