ものづくりの技術を後世に 山原ものづくり塾 木下義宣さん


ものづくりの技術を後世に 山原ものづくり塾 木下義宣さん 製作中のバーキ(竹かご)を手に持つ木下義宣さん。材料は竹(ホウライチク)で、幅8ミリ、厚さ0・5ミリに削った「ひご」をいくつも使い、編み上げていく=国頭村奥 写真・村山望
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バーキ作りの指導者を育成

国頭村奥を拠点にやんばるで自生する植物を使った昔ながらの道具作りやその技術を指導する木下義宣さん。かつてはほとんどの家庭にあったという竹などの民具も、プラスチック製品の普及により需要も作り手も減っている。その技を伝える指導者を育てようと2003年に「山原ものづくり塾」を設立。製作活動を続ける傍ら、講師として昔ながらのものづくり技術の普及に努める木下さんを訪ねた。

のどかな集落にある作業場を訪れると、「山原ものづくり塾」塾頭の木下義宣さんがバーキ(竹かご)作りに励んでいた。材料の竹を縦に細く割り、幅と厚さを均等に削った「ひご」を幾つも使い、手際良く編み始めると、立体的な形に仕上がっていく。難しそうに見える編み込みの作業だが、「今は楽しいところ。バーキ作りは80パーセントが材料作り、あとの20パーセントは編む作業」と笑顔を見せる。材料の竹採りから始まるバーキ作り。竹を縦に割り、ナタで幅約8ミリ、厚さ約0.5ミリに整えた細い「ひご」を作る下準備が一番手間のかかる作業だという。

バーキを編む木下さん
バーキを編む木下さん

身近に自生する植物を使い、バーキなどの民具を作り、その技を教えている木下さん。バーキ作りの魅力は「自然の素材を採ってきて、その材料を編めるまでに仕上げ、道具として形になっていく。それが楽しいところ」という。

地元の文化を守る

国頭村で生まれ育った木下さんにとってバーキは身近な生活用具だった。「小さい頃はこの辺のおじいやおばあたちがよく作っていた」と振り返る。木下さん自身も「小学校の頃から小刀を持って、ソーミナー(メジロ)かごなどを先輩たちに教えてもらいながら作っていた」と話す。

竹を竹割器で等分に割ったら、さらに細く滑らかにして竹ひごを作っていく

バーキ作りを始めたのは、1980年頃の工業高校教諭時代。名護博物館が準備室時代に開催していた夏休みのバーキ作りに参加したのがきっかけだった。小さい頃からものづくりに親しんでいた木下さんは、2回目からは講師としてもボランティアで携わるように。その頃に出会ったのが博物館初代館長の島袋正敏さんだ。

その後、ものづくりの継承やアグーの復活など積極的に取り組んでいた島袋さんが定年を迎えた時、技術を伝えることのできる指導者を養成する塾の立ち上げを提案。島袋さんが塾長、木下さんが塾頭となり2003年に「山原ものづくり塾」を発足した。

「7つ道具」。剪定(せんてい)ばさみ、なた、のこぎりなど
「7つ道具」。剪定(せんてい)ばさみ、なた、のこぎりなど

「いつの間にか(竹かごなどが)プラスチック製品に変わってきた。それじゃいけないというのが私と島袋さんの思いだった」と話す。博物館などの施設と共催で月2回の講座を1年間かけて開催。バーキ作りを中心に、漆喰(しっくい)シーサー、わら細工などを、毎年10人弱の塾生に教えてきた。

技を継承し指導者に

2015年に施設と共催の年間講座が終了した後も、「山原ものづくり塾」は続いている。木下さんは個人でも生徒を募集し自身の作業場などで教えている。博物館や公民館からの依頼を受けて定期的に講座も開催。その際は卒業したメンバーなども手伝い、ほぼマンツーマン態勢で指導をしているという。「後継者を育てるという当初の目的は、ほぼ達成できているんじゃないかなと思っている。各自で工房などを構えて教えている卒業生もいるので、それがつながっていけば」と期待する。

木下さんが作成した原寸大の図面。受講生に配布している
木下さんが作成した原寸大の図面。受講生に配布している

ほぼ毎日製作に励んでいるという木下さん。今後も生徒を募集し、教えていくつもりだ。「(国頭村)奥は遠いけど、ここで習う方がどんどん増えてほしいと思う」と語った。

(坂本永通子)

山原ものづくり塾

国頭村奥200番地
TEL 090-7452-4416

木下さんが作ったさまざまな種類のバーキ
木下さんが作ったさまざまな種類のバーキ

※木下さんの作品は、直接販売の他、道の駅ゆいゆい国頭(国頭村奥間)、奥共同店(国頭村奥)、りゅう(読谷村古堅)などでも販売

(2024年2月22日付 週刊レキオ掲載)