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「やっぱり沖縄のこと分からない」東京で考え続け、吹っ切れた先に見えたもの 「小さな沖縄資料館」主宰の高山正樹さん<県人ネットワーク>


「やっぱり沖縄のこと分からない」東京で考え続け、吹っ切れた先に見えたもの 「小さな沖縄資料館」主宰の高山正樹さん<県人ネットワーク>
この記事を書いた人 Avatar photo 斎藤 学

 「沖縄と出合ったきっかけは」。そう問うと「その質問には答えないことにしている」ときっぱり。「新聞にも出るし、話にも上る。そんじょそこらに出合うきっかけはある。それに躓(つまづ)くか否かは人のありさまですね」。躓き過ぎて深傷を負ったと自認している。

 元々は舞台俳優。「20歳過ぎから沖縄のことをもんもんと考え始めてしまった」。それが人生の岐路。生まれも育ちも東京だ。そのせいか。「自分が沖縄の人の足を踏んづけているのは考えれば分かる。だったら普通に考え始めませんかとなって考え始めた」

 劇団にいた沖縄の女性と結婚した。沖縄の芝居を書こうと思いたったが、考えるほどに書けなくなった。書籍や資料は増える一方。「沖縄について学べば学ぶほど語ることもできなくなった」まま20年以上がたった。沖縄の芝居は書けない、書く資格もないとの思いが募った。

 沖縄の言葉も学び始めたが、沖縄出身の妻との会話で、はっとさせられた時が忘れられない。「毎朝、起きると『起きたね』と言ってくる。そのうち、見りゃ分かるだろうと腹が立ってきた」。でも沖縄の言葉を学ぶうちに、それが沖縄の言葉「ウキミソーチー」の直訳なのだと分かった。「こんなに勉強してきたつもりが、こんなことも分からなかったのか」

 ある時、妻に「やっぱり沖縄のこと分からないや」と吐露すると「ごめん、私もヤマトゥンチューにはなれなかった」と返ってきた。「えっ、ヤマトゥンチューになろうとしてたのか」と驚くとともに「その時、なんか吹っ切れたような気がした」

 自らの立ち位置を見つめて、やっと思い至った。「沖縄を考えるヤマトの人間だったら書けるかもしれない」。なまじっかな芝居で違和感を残したくない。半世紀近く考え続けた末に、「ヤマトの人間しか出てこない沖縄の芝居」という、前例のない芝居の形が見えてきた。

 地図関連の製作会社の代表も務める。東京都狛江市の住宅街に設けた「小さな沖縄資料館」には、これまで集めてきた沖縄関連資料がずらり並ぶ。その数は約5千点というから一日では見きれない。資料館では地元紙出身の報道カメラマンの写真展も開催している。

 芸能も含めて沖縄関連事業はもはやライフワークだ。約2年前にがんで余命半年の宣告を受けたが、治療を続けて今は健在。周囲には「死んでも地獄から出てくる」と気を吐く。

(斎藤学)

 たかやま・まさき 1957年11月生まれ。東京都世田谷区出身。大学を卒業と同時にオーディションで役者になる。株式会社M.A.P.(東京都狛江市)の代表も務める。