かつおのうま味が引き立ち、透き通った出汁(だし)の味わいが今も忘れられない。伯母のつくった懐かしいそばは「ソウルフードだ」。今はない「この味をよみがえらせて、故郷の多良間島に何かできないか」。千葉県に生まれ育った県人2世。島の味を復活させようと奮闘している。
母逸子さんの故郷、多良間村で夏休みを過ごすのはたまらなくうれしい年間行事だった。姉と共に訪れる島は、都会にはない豊穣な自然に囲まれていた。40日の期間中は幼少の純粋な五感を刺激した。透明な海に群生するサンゴはその壮大さに「怖くもあった」。見上げる夜空には満天の星。サトウキビ畑での手伝いも鮮やかに記憶に残る。
何より伯母・威子さんが営む旅館「みどりや」で過ごした日々が脳裏に残る。そば屋も兼ねた「みどりや」で伯母夫婦が丹精込めてつくるそばは格別な心の味。島に飲食店も少なかったこともあるが、その味を求めて昼時は地元客らでにぎわった。
1972年の沖縄の施政権返還後からしばらく続いた旅館兼食堂も今は閉じたものの、思い至ったのが「みどりや」のそばの再現だ。「あっさりとした宮古そばならではの味。それこそすっきり飲み干せる」。愉悦の表情を浮かべながら味覚に残る記憶を思い浮かべた。自らの飲食業の原点も、この味わいがあったからこそか。
思い立ったら行動は早い。今も健在な伯母から味を継承しようと島を訪ねて、味の試行錯誤を繰り返した。そばに欠かせぬ「三枚肉の仕込みも聞けるうちに学んでおかないと」。そばに盛るひらかまぼこは偶然にも伯母の使っていた現物に出合う好機に恵まれた。姉や母と味の加減で調整、微修正を重ね、本場の味の再現に近づきつつある。
お披露目の日も近い。来月2、3日と神奈川県横浜市の鶴見入船公園である鶴見ウチナー祭で提供する予定だ。南風花食品(東京都)の仲筋信夫社長との縁もあり実現した。そばの店舗、名称は「母、伯母の旧姓が花城で屋号が『カニビラ』。それを使おうと思う」。
将来的な構想もある。「伯母のそばを再現して沖縄本島か、宮古島、多良間島になるかはまだ分からないが、現地で店舗を設けられたらと思う」
多良間島は「大事なふるさと。島の人口も減っている。島の子どもたちが活躍できる産業を発信し貢献できないか考えている」。豊かな島を次代へつなぐ思いが起業家魂の背を押す。
(斎藤学)
いしわた・ひでかず 1984年11月生まれ。千葉県千葉市出身。小中高卒業後、他業種を経験した後、沖縄に貢献したいと沖縄料理屋に就職。起業家として埼玉県で株式会社やそきちを創業し代表取締役。複数の店舗を経営する。東京多良間郷友会の役員も務める。