東京都内で隣接する中野と高円寺は、学生をはじめ多くの県人が移り住んだ。その中には、島から離れ慣れない生活に孤独を感じ、悩みを抱える若者もいたという。そこでゆうなの会を立ち上げ「何かできないかとエイサーを始めた。そしてアシバ祭を立ち上げた」と言う。三大祭りとも言われる沖縄イベントが中野にはある。それが今や地域の風物詩になり、毎年、街を彩り、活気づける。
チャランケ祭りはその一つ。特色は北と南の文化交流だ。祭りの名称の由来が意味深だ。アイヌの言葉でチャランケは「とことん話し合う」という意味。沖縄にも似た言葉で「ちゃーらんけー」がある。こちらは「消えんなよー」という意味もある。お互いの言葉の文化を持ち寄って、祭りに名付けた。
創設者の一人は南風原町津嘉山出身で中野区では沖縄料理店「あしびなー」を営んだ金城吉春さん。もう一人は北海道帯広市でアイヌ文化の保存活動をする広尾正さん。2人が出会い、意気投合し祭りを立ち上げた。
金城さんは2021年に亡くなり、実行委員長を引き継いでいる。1994年の開始時は心境複雑。「アシバ祭が既にあるのに分裂するのか」と。「だけど参加して変わった。祭りの最初と最後に拝みがあってね」
どんな祭りにせよ目的は「神様に感謝すること」といわれる。チャランケ祭は「みんなが自分の祭りとして精いっぱい取り組む。祭り本来のあり方を見るようで感動した」
母の淳子さん(旧姓・上原)は石垣市出身で復帰前に高円寺で生活を築いた。そこで始めた沖縄料理店が「きよ香」。「店の2階で生まれ育った」ため、沖縄での生活経験はない。それでも、高円寺で沖縄居酒屋「抱瓶」もオープンすると「県出身の先輩が毎日来た。そこで飲み方からウチナーンチュの気質も学んだ。朝まで沖縄の独立論でかんかんがくがくの議論をしていた」と懐かしむ。
自らの原風景はかつて母と帰省した故郷の風景。「川平も遊泳できて、海は澄んで、海中を泳ぐ魚やサンゴを見ると空の上にいるような気がした。怖いくらいだった」
アイヌとウチナーの文化がコラボするチャランケ祭は今年31回だった。「中野では区長も沖縄文化を応援してくれる。それも先輩が種をまいてくれた。金城吉春さんら先輩たちが祭りを起こした気持ちを伝え、この地で祭りが続くように」。地域と人々を結ぶ。祭りに込められた思いを次代へつなぐ。
(斎藤学)
たかはし・かんたろう 1966年4月生まれ。都内で生まれ育つ。母は石垣市登野城出身。小中高を経て、現在は飲食店を複数展開する抱瓶グループの社長を務める。