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【識者】米国、辺野古の工事は困難と把握の可能性 軟弱地盤、60年代から把握 川名晋史(東京工業大教授)


【識者】米国、辺野古の工事は困難と把握の可能性 軟弱地盤、60年代から把握 川名晋史(東京工業大教授) 川名晋史氏(東京工業大教授)
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 日本側が大浦湾の軟弱地盤の存在を把握したのはいつか。米側は1960年代のマスタープラン(基本計画)の作成過程で気象庁や海上自衛隊に情報を照会していたが、軟弱地盤の問題が共有されていたかまでは確認できない。

 普天間飛行場の返還が決まった96年の日米特別行動委員会(SACO)で当時の防衛省幹部は「米側は、戦後に計画した埋め立て空港の青写真を持って来て『これでどうだ』」と見せられたと著書に書いている。この写真が辺野古の基地のことだったのか判然としないが、もしそうであるならば興味深い。

 基本計画は米中枢で実行寸前まで行きながらも巨額の予算を要することから放棄された。その際に軟弱地盤に伴う地盤改良工事の問題が政策決定者にどれだけ意識されたかは分からない。

 一方、米側は過去の本土の基地の整理縮小の際は必ず代替施設を求めてきた。90年代の普天間返還で代替施設を考えた時に、国防総省の中で引き継がれてきた計画を日本側の費用で建設できると考えた可能性はある。

 さらに興味深いのは基本計画で示された施設案は2005年以降に米側が積極的に支持した「浅瀬案」に近い。これは現行計画のように滑走路を軟弱地盤がある沖合まで延ばさず、辺野古沿岸にとどめる案だ。米側は1960年代から軟弱地盤の上に滑走路を造ることは容易ではないとみていたはずだ。仮に現行計画が実現できなくても、普天間飛行場を返還せずに使用し続けるだけだと割り切っているのかもしれない。

(国際政治学)