【写真特集】コザ騒動・最大の反米蜂起 5000人が米車両焼き討ち


社会
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ウチナーンチュの怒りが爆発し、放火された米軍人の軍属車両=1970年12月20日深夜、コザ市(現・沖縄市)

 <コザ騒動とは>1970年12月20日未明から早朝にかけて起きた戦後沖縄最大の民衆蜂起。コザ市(現沖縄市)で5000人ともいわれる群衆が、米憲兵や外国人の車両を次々と横転させ、炎上させた。被害車両は75台、米軍人40人を含む計88人が負傷したとされる。群衆の一部は嘉手納基地内にも進入。21人が現行犯で逮捕された。1972年の日本復帰を前に、日米両政府に衝撃を与えた。

 騒動は、20日午前1時ごろに米人車両が地元住民をはねた交通事故が発端。憲兵が事故当事者の米兵を現場から退避させたこともあり、現場にいた群衆が激高していった。さらに近くで外国人の運転する車両が、住民の運転する車に衝突する新たな事故が発生。詰め掛けた群衆に対し、憲兵が威嚇発砲したことが引き金となり、車への放火が始まった。

 直前の沖縄では、糸満町(現糸満市)で米兵が主婦をひき殺した事件について、上級軍法会議が無罪判決を下したばかり。嘉手納基地に隣接する知花弾薬庫に毒ガス兵器の貯蔵が発覚し、米国移送を前にガス漏れの懸念が広がるなど、米国統治への不満が渦巻いていた。

群衆に襲われ、炎上した米国人の車両=1970年12月20日、コザ市中の町
12月20日朝、騒動の現場となった軍用道路24号(現国道330号)
群衆の基地突入を防ぐため、基地入り口は有刺鉄線がはりめぐらされた。カービン銃にヘルメット姿で完全武装した米兵も非常警備に当たる=1970年12月20日、嘉手納航空隊第2ゲート前
群衆に襲われ、炎上した米人車両=1970年12月20日、コザ市中の町
コザ騒動の現場を視察する屋良朝苗・琉球政府主席=12月21日
騒動を報じる1970年12月21日の琉球新報朝刊1面

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