組踊「護佐丸敵討」より あまおへ(阿麻和利)
大胆細心--。天性の舞踊家は、強豪で知られ、自身も通っていた豊見城高校野球部のユニフォームの袖にあった言葉を胸に舞台に立つ。曾祖父は、戦前から戦後の芸能界を支え、沖縄で最も師事する者が多いとされる琉球舞踊・玉城流の創始者・初代玉城盛義。「おごりがあった」と振り返る19歳、芸能コンクールに不合格。それから3年間芸能と向き合った。「あの期間があったから今の自分がある」。
組踊の古典作品では、「護佐丸敵討」のあまおへ(阿麻和利)役など重々しい唱え(せりふの言い方)が求められる按司や大主役に定評がある。180センチの長身で演じる勇壮かつ、艶と品を備えた男形は圧巻。「物語が持つ流れ、場に応じた振る舞いがある。一本調子になってはいけない」。丁寧な作品研究に裏打ちされた緩急自在な舞と唱えで、終幕までたっぷりと観客を魅了する。
(写真撮影・大城洋平)
たまぐすく・せいぎ 1966年那覇市生まれ。2011年に玉城流三代目家元として玉城盛義を襲名。玉城秀子、組踊を宮城能鳳に師事。重要無形文化財「組踊」(総合認定)保持者。2012年度(第67回)文化庁芸術祭賞舞踊部門優秀賞を、琉舞の男性舞踊家として初受賞。
演目と写真説明 組踊「護佐丸敵討」(一名/二童敵討)。組踊の創始者玉城朝薫が作った五番の一つ。護佐丸の遺児・鶴松と亀千代兄弟が、父の敵のあまおへ=阿麻和利=を討つ物語。写真は最初の見どころ、あまおへの「七目付(ななみじち)」。「護佐丸も殺ち、なし子刈捨てて、すで子刈り捨てて、肝障りならぬ、道障りならぬ(護佐丸も殺し、その子どもも殺し、その形見の子も殺し、何の気障りなく、邪魔する者もない)」の唱えと共に、大団扇と刀を手に大見えを切る。