社会

【写真特集】カラーでよみがえる復帰前の沖縄

 琉球新報は沖縄の日本復帰50年に合わせ、復帰前に沖縄がたどった軌跡を写した白黒写真をカラーで再現することを試みました。写真は本紙カメラマンが復帰前に撮影したものです。カラー着色は白黒写真をAI(人工知能)によって解析し、被写体に適切と判断された色付けを自動処理しています。AI解析はまだ完全とはいえず、実際の色とは違う場合や、着色されない部分もあります。ご了承ください。22日まで、那覇市泉崎の琉球新報本社2階ギャラリーで展示中です。

 

1959年 宮森小に米ジェット機墜落



操縦不能となった米軍ジェット機が墜落。給食時間中の2年生の教室に激突炎上し、事故当時、児童11人、周辺住民6人が死亡した=1959年6月30日、石川市宮森小学校

>>【動画】奪われた幼い命 ―宮森小 米軍ジェット機墜落事故―

 

1960年 アイゼンハワー大統領が来沖



「琉球住民に敬意を表すため」来沖したアイゼンハワー米大統領。移動中の沿道には十数万人が押し寄せ、帽子を振り笑顔で応える米大統領に歓声を上げた=1960年6月19日、那覇市内

 

1961年 那覇大綱引き復活



20余年ぶりに復活した那覇大綱引き。昔を懐かしみ、熱狂する高齢者など、約4万の人出でにぎわった=1961年10月8日、那覇市の若松通り

>>【動画】今も続く那覇大綱引き

 

1961年 新栄通りにぎわう



戦後、庶民の市場として繫栄した新栄通り。沿道には果物を売る「おばさん」たちが並び、道行く客に声を掛け合った=1961年10月7日、那覇市

>>変わるマチグヮー今の姿は?連載「まちぐゎーひと巡り」

 

1961年 名護湾のイルカ漁



約50隻のクリ舟が出て、湾内に押し寄せたイルカ(ヒートゥ・ゴンドウクジラ)177頭を捕獲。海面はイルカから吹き出た血で赤く染まり、海岸は見物人で大にぎわいとなった=1961年4月1日、名護湾

 

1961年 ROKのど自慢


ラジオ沖縄開局1周年を記念し開催された「紅白歌合戦」。小那覇舞天の司会、喜納昌永の伴奏で市場で働く「アンマー」たちが自慢の歌声を披露した=1961年6月25日、那覇劇場

ラジオ沖縄開局1周年を記念し開催された「紅白歌合戦」。小那覇舞天の司会、喜納昌永の伴奏で市場で働く「アンマー」たちが自慢の歌声を披露した=1961年6月25日、那覇劇場

 

1962年 ホークミサイル初訓練



在沖米陸軍第1砲兵隊第8ミサイル大隊は、米本土以外で初めてとなるホークミサイルの発射演習を実施。ごう青をたて、噴煙とともに赤い炎の尾を引いて標的機を撃墜した=1962年1月12日、読谷村残波岬の米軍ミサイル基地

 

1963年 沖縄返還求め海上行動



沖縄が本土から切り離された講和条約発効日に抗議し開催された海上行動。沖縄、本土代表を乗せた船が海上で接近し、メッセージを交換、「沖縄を返せ」を大合唱した=1963年4月28日、与論沖27度線の海上

 

1964年 ジャズの神様初来沖



米軍基地内でのコンサートで初来沖したルイ・アームストロング。カメラの前で気さくにポーズをとり、ハスキーボイスで記者の質問に答えた=1964年12月16日、那覇空港

 

1964年 東京五輪聖火 沖縄入り



東京オリンピックの聖火が沖縄に到着。5日間で本島151区間、250キロをリレーし、各地で熱烈な歓迎を受けた=1964年9月9日、那覇市の国際通り

 

1966年 ジェミニ8号那覇入港



米ロケット、ジェミニ8号に故障が発生し、アームストロング、スコット両飛行士を乗せたカプセルが沖縄東方海上に緊急着水。カプセルと両飛行士を無事収容した米駆逐艦メーソン号が那覇軍港に入港した=1966年3月18日、那覇軍港

 

1966年 久高島のイザイホー



12年周期(午年)で開催されるイザイホー。ナンチュ(30歳から41歳の女性)は4日間に渡り、島の拝所で神への祈りと踊りをささげ、神人になる儀式を行う。600年以上続いたが、後継者不足で1978年を最後に途絶えた=1966年12月28日、久高島

 

1967年 教公二法を実力阻止



教公二法案の廃案を求め、約2万人の阻止団が集結。法案採決に向け本会議へ出席する民主党議員の車を取り囲み、登院を阻む団員ら=1967年2月1日、立法院玄関前

 

1968年 巨人ー広島戦



沖縄のプロ野球ファンが待ちに待った巨人―広島オープン戦沖縄シリーズ。試合に先立ち行われたチャリティーサイン会は長島茂雄(写真手前)や安仁屋宗八にファンが殺到した=1968年11月29日、那覇市のデパート・リウボウ

 

1968年 嘉手納基地でB52炎上



離陸しようとした米戦略爆撃機B52が上昇しきれず飛行場内の東側弾薬搬入ゲート近くで炎上した。同機は炎上と同時に十数回大爆発を起こし、現場は一面焼け野原に。乗員2人、周辺住民7人が負傷した=1968年11月19日、米軍嘉手納飛行場

 

1970年 コザ騒動



米兵による民間人への交通事故をきっかけに発生した「コザ騒動」。市民ら2000人(警察発表)が、憲兵隊のパトカーなど軍関係車両75台に火を放つなど、米軍への怒りが爆発した=1970年12月20日、コザ市

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