<金口木舌>続く戦争被害


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 北中城村の国道330号沿いに張り巡らされたフェンスの向こうに、キャンプ瑞慶覧の米軍住宅が広がる。芝生の中にフクギの並木が見える。戦前、瑞慶覧の集落があったという。13年前、出身の男性に取材した

▼召集され台湾にいた男性が終戦後、沖縄に戻ると、ふるさとは米軍に接収されていた。沖縄戦で母と祖母を失い、故郷も奪われた。生家の跡地はフェンスから見えるが、帰ることはできない。歯がゆい思いを抱えて戦後を生きた男性は「長生きするのもつらい」と話していた
▼嘉手納町嘉手納から屋良にかけての「2番地地区」で、町の整備事業が本格化する。地震で大規模火災が発生する恐れがあり、国が「著しく危険な密集市街地」に指定している。古い住宅がひしめき、道路が狭く緊急車両が入れない
▼戦後、避難していた住民が戻ると故郷は嘉手納基地になっていた。フェンスのそばに帰郷を夢見る住民が暮らしたのが、同地区の始まりだ
▼戦争と米軍基地建設に振り回されて土地や住宅などの権利が複雑化し、事業の本格化に時間がかかった。2番地地区まちづくり協議会会長の真喜屋清さん(81)は「これも戦争被害の一つだ」と語る
▼75年を経ても戦後処理は終わらない。戦争体験者を含め、県民は今も戦争と米軍基地に振り回されている。日本人の一人として向き合い続けねばならない。