私は普段、女性の経験を聞くことを仕事にしている。だからこの世に性暴力があることや、それがもたらすダメージについて、たぶん人より多く知っている。
それでも子どもを育てていると、時々呑気(のんき)な気分になる。この世はこんなに善き場所なのかと思うことがある。
例えばそう。ある日プリンセスごっこをしていた幼い娘は、友達と一緒にドレスのまま近くのコンビニに出かけると、たくさんのお菓子を買って帰ってきた。持っていったお金では買えないお菓子の量に驚いて店を訪ねると、レジの女性は「お姫さまたちがかわいくて、好きな物を買いなさいと言ったんです。私からのプレゼントです」とお金を受け取らなかった。
例えばそう。去年の七夕、娘は短冊に「せんそうがおわりますように」「大きくなったらまほうつかいになれますように」と書いていた。ささの葉さらさら、のきばにゆれる―。世界中の戦地の惨状を知っても、子どもはまっすぐ未来を見つめている。
だからそう。私はここがどこか時々忘れる。ここは女の子が狙われる島。私たちは人を殺す訓練をしている軍隊の隣で暮らしている。
事件は6月25日、新聞記者からの電話で知った。
「沖縄本島中部の公園で16歳未満の少女が米兵から性暴力を受けた。事件は去年の12月にあったと警察は言っている。識者コメントを出せないか」
「半年前の事件をなぜ今日というタイミングで知ったのか」と尋ねるが、記者も「警察が…」とうまく言葉をつなげない。「一番大事なのは被害者のケアで、その子と、沖縄バッシングへの対応も必要になってくると思う。でも分からないことだらけで、今はまだコメントは出せない。ごめんなさい」と伝えて電話を切る。電話を切って考える。16歳未満ということは被害者はまだ中学生か高校生だ。急性期対応の医療チームはあるのか。学校の支援体制は整備されているのか。
なぜ今のタイミングで明らかになったのか考える。そして、ああ、と了解する。先々週の日曜日には沖縄県議選があった。先週の日曜日には沖縄の慰霊の日があった。選挙前に、女の子が米兵に乱暴されたと公表するのを回避したということだろう。慰霊の日の式典のため沖縄に来た総理大臣は、事件を知りながら、いけしゃあしゃあと沖縄の負担軽減を口にした。
叫び出したい気持ちのまま、家で夕食の支度に取りかかった。娘の習い事のお迎えが今日は夫であることにふと不安を覚え、忘れていないか電話する。留守電になるのでメールも送る。
午後7時になって、夫からようやく「今、会議が終わったよ。どうした?」と呑気な声で電話が入る。「7時にお迎えだよ!」とほとんど叫ぶ。「すぐ職場を出る」と言う夫に「これから30分、外に立たせておくつもり? 私が行く!」と怒鳴って家を飛び出した。不安な気持ちのままたどり着くと、娘は夜風に吹かれながら友だちと話をしていた。
帰宅して平謝りの夫に「怒鳴ってごめん。また女の子が乱暴されたって。嘉手納基地の米兵だって。去年の12月だって。その子のクリスマス、一生辛いものになってしまわないかな」と話すうちによく分からない感情が込み上げて、叫んで叫んで、泣き叫ぶ。
泣いても生活は回らない。だから私は、毎日歯を食いしばって生活を続ける。ご飯を作り、娘を送り迎えする。目の前の仕事をひとつひとつ片付けて、一日を終える。
今年の七夕、「戦争が終わりますように」「12歳になったら魔法使いになれますように」と、娘は去年と同じことを短冊に書いて、歌を歌う。ささの葉さらさら、のきばにゆれる―。娘の澄んだ歌声を聞きながら、被害に遭った子の感じている痛みと、その子のそばにいる人が感じている痛みを思い、胸が締め付けられる。
あなたは本当に分かるのだろうか? 私たちは、女の子が標的になって米兵の獲物にされる島に住んでいる。米兵に暴行された子どもや女性がいても政府はこの島に住む私たちに伝えず、米軍の思うままだ。この国は私たちを守らない。そしてあなたは今日も沈黙している。
(教育学者)
(共同通信)