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泣いた語り手 沖縄を抱えて生きる 歴史や構造描き出すために 上間陽子<論考2024>


泣いた語り手 沖縄を抱えて生きる 歴史や構造描き出すために 上間陽子<論考2024> 米軍キャンプ・シュワブのフェンスをつかみ、抗議する人=7月、沖縄県名護市辺野古
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 日本復帰50年の節目でなされた沖縄の人々の聞き取り調査で、語り手が泣き出したことがある。本土復帰前、パスポートを手に沖縄を離れ、再び沖縄に戻ったという70代の男性の話を聞いていた時だ。妻をみとった後、認知症の症状が出て施設入所が決まり、住み慣れた家で話を聞ける、これが最後の機会とのことだった。

 大きな体を座椅子に押し込むように座った男性は、10代で沖縄を離れて横浜や広島で船を造っていたと話した。内地の生活は面白かった、週末は同僚に海にも山にも連れていってもらったと楽しそうに話していたのに、「あの頃、沖縄にはこんな歌があったよ」と言って「沖縄を返せ」という歌を歌うと、突然、声を上げて泣き出した。

 泣きやむのを待ってから、「日本復帰を求める沖縄の歌ですよね?」と尋ねるとうなずいて、ぐるりと部屋を見渡し、「朝、起こしにいったら、妻(トゥジ)はあっちの部屋で死んでいたよ」と泣いた。それからしばらくたつと思い出したように「沖縄を返せ」を歌ってまた泣いた。

 男性が故郷を離れた頃、アメリカ占領下の沖縄では、祖国復帰の運動がなされていた。遠く離れた土地で、男性はその歌を聞いたのだろう。沖縄は日本に復帰したが、本土から移設されて、米軍基地はますます増えた。

 その沖縄に男性は戻ってきて家族をつくり、家族を亡くして施設に入る。親戚が所有するというこの家に、男性が帰ることはもうないだろう。今と昔の記憶が巡る家の中で、何をどう尋ねたら沖縄の物語にたどり着くのかと途方に暮れた。

 沖縄のリアルを描いたと宣伝された「遠いところ」(2023年公開)という映画は、幼い息子がいる10代の少女の話だった。パートナーから暴行を受けている主人公は、お金が必要になり売春する。やめさせようとした親友はクスリの影響で自殺し、絶望した主人公は息子と海で心中を図る。

 映画の中で、主人公が沖縄の男性や家族から受ける暴力や貧困は微細に描かれるが、なぜ主人公が暴力をふるわれるのか、なぜ沖縄が貧しいのかという問いはない。

 日本が復興に向かう戦後、沖縄はアメリカに占領された。日本に復帰してもなお、日本全土にある米軍施設の7割は沖縄に配備され、今も沖縄の女性は軍隊の性暴力にさらされている。映画でそれらが一向に見えてこないのは、本土出身の監督が自分の撮りたい暴力を沖縄の物語だと決めつけたからだろう。本土が沖縄に強いている構造を問うことのない歴史認識の浅さは、自らの加害性を忘却させる。

 ただ、本土の人が沖縄の歴史や構造を描けないわけではないだろう。野木亜紀子脚本によるドラマ「フェンス」(23年)は米兵の性暴力事件を扱いながら、本土の加害性や沖縄内部の暴力を描く。

 野木はその暴力や貧困を作り出しているのは誰か、という問いを手放すことなく、米兵が沖縄にふるう暴力、日本が沖縄にふるう暴力、沖縄内部の暴力と貧困の実像を浮かび上がらせる。だからこそ私たちは、これらをなくすため何ができるのかと思考を促される。このような沖縄の歴史が響き渡る声を聞き、それが遠くまで届く沖縄の物語を書きたいと私は思う。

 沖縄出身の劇作家兼島拓也は戯曲「ライカムで待っとく」で、「沖縄は、日本のバックヤード」という言葉を使い、米兵にレイプされるのは孫か娘か選べ、というせりふを観客に突き付ける。沖縄がそうした場所にされていることを知らしめ、共に考える空間を作り出そうとしたのだろう。おそらく、そういう場を無数に作り出すことが私たちには求められている。

 あの日、私が十分に聞くことができなかった物語は、男性の中に眠っている。歌を教えてくれたのは誰だったのか。あの歌を誰かと歌うこともあったのか。沖縄に帰ろうと決めたのはどんな日だったのか。沖縄が日本に復帰してからの年月、何を感じて、どう生きてきたのか。

 あの家はもう壊され、更地になっただろうか。それでも物語は残る。沖縄を抱え、あなたはどう生きてきたのか。もう一度、あの男性の話を聞いてみたいと思っている。

 (教育学者)
 (共同通信)