今から10年以上前、私は沖縄の風俗業界で働く女性の調査をしていた。夏の夜の街でのインタビューが多かったはずなのに、記憶の中のその場所はしんと静かで肌寒い。
花音は、風俗店で働いていた子だった。インタビューの帰り道、お腹がすいたと言って、花音はコンビニでおにぎりをいくつも買った。「手作りご飯で何が好き?」と尋ねると、「おにぎりかなぁ」と花音は言った。おにぎりは誰かが誰かに作るものだ。誰に作ってもらったのだろうと考えながら、私はその日、花音にそれを聞きそびれた。
真奈もまた風俗店で働く子だった。話を聞いた夜、長い間覚醒剤を使っていたと真奈は言った。―痩せろデブデブデブって彼氏に言われ続けたら痩せなきゃと思うようになって出稼ぎで行ったA県でもやっていた。クスリやめて沖縄に帰ってから毎日下剤飲んで眠って朝は超激痛で起こされて一応それが目覚まし代わり。仕事のない日曜日、食べて吐き真奈は豚みたいです。お店の待機室では、みんなとお菓子を食べながら子どもの相談とかして楽しいです―。
その頃、大阪の風俗業界で働く女性が子どもを餓死させた事件があった。同僚は彼女がシングルマザーだと知っていたが、子育てについて彼女が相談できる人はいなかった。それと比べると、沖縄の風俗業界で働く女性は職場で子どもの相談をしているんだと安堵(あんど)して、私はその日のインタビューを終わらせた。
数年後の夏、真奈は死んだ。真奈からお金を借りてその返済代わりに真奈に覚醒剤を渡したオトコの部屋で、真奈は倒れていた。真奈の父親の知らせで葬式に行ったと話す店のオーナーに「真奈のお父さんならそんなチンピラどうにかしてくれたはずなのに」と言うと、「真奈はお父さんに自分のこと、話せなかったんじゃない?」と返され絶句した。そうだった。真奈は誰にも自分のことを話せないと言っていた。
それでも今の私なら、たぶん真奈にまっすぐ聞く。誰かに好きなご飯を作ってもらったことがあるか。初めてクスリに触れたのはもっと小さな頃ではなかったか。真奈の家族に暴力をふるう人はいなかったか。食べることを拒否し、成熟した身体になることを忌避したのはなぜなのか。
真奈や花音に温かなご飯を出してあげながら話を聞きたかったと私は思う。そうしたら、どうやって生き延びてきたのか、どういう世の中なら生きていけるか尋ねることもできただろう。
出産を迎える女性のシェルター「おにわ」を2021年につくった時は、ご飯を食べることを真ん中に置いた。入居したばかりの時には、「別に好きな食べ物はない」「一日一食しか食べない」と、みんな食べることに興味がない。
それでも時間がたつと、「ハンバーグを食べたい」「オムレツが好き」とリクエストしてくれる。好きな物が並ぶ食卓で、誰かにハンバーグを作ってもらったことがあるのか、オムレツを好きになったのはいつかと尋ねると、食べることにまつわる思い出話を聞かせてくれる。
この前、おにわの卒業生たちから遊びに行く、と連絡があって、それならみんなが食べたい物を作るねと声をかけると、魚のみそ煮、クリームシチュー、タコライス、イナムドゥチと、和食洋食伝統食がごちゃまぜのリクエストがあった。料理上手のスタッフたちは、「意外にしぶい趣味」「みんなバラバラ」と笑いながら、リクエストされたものをずらりと食卓に並べて到着を待った。
到着の早かったひとりに、「焼きたての黒糖パンがあるよ」と言うと、「食べる!」と即答した。バターをたっぷりとぬって、鉄のフライパンでこんがり焼いて、温かいカフェオレを添えて出したら、「幸せの匂いだ」と、テーブルに突っ伏した。
食卓を囲み語られることは、簡単に解決できることばかりではない。でも好きなご飯が並ぶ場所で、一緒にいる人が自分を応援していることが伝われば、ひとりではないと分かるはずだ。そういう場所をひとつひとつ増やすことができるならば、私たちは違う世界を作ることもできるはずだ。
(教育学者)
(共同通信)