「おにわ」という小さなシェルターを開いて3年たつ。当初は、10代の女の子たちを保護する施設として作ったが、昨年からは沖縄県の補助を受けて、各自治体との協議を経た後、生活の困窮や暴力を受けているなどの事情で出産前から支援が必要な「特定妊婦」が入所できる施設となった。
おにわに入所した頃は、みんな自分の望みを口にしない。だから本当に小さなことからスタートする。夕食の献立、3時のおやつ、シャンプーやリンスの種類、赤ちゃんを包むおくるみ。何が好きで何が嫌いか、どんなことをしてもらいたいか教えてもらって実現する。
小さな望みをかなえる日々の先に、暴力を受けた日々との差異も生まれてくる。それはやがて、自分と子どもの未来を考える足がかりとなる。望みを抱くことは、生の方へ時間軸を延ばすことになるのだろう。大学の研究室を出て、支援の世界に足を踏み入れて本当に良かったと思う。
支援の世界に入る時、それまで調査で関わった人たちの存在は大きかった。その一人、暴力を受けた女性を保護する施設で働くワーカーのNさんは、望みが生まれる瞬間を見逃さないように教えてくれた人である。
沖縄の風俗業界で働く女の子たちの調査を記録した「裸足で逃げる」という本を出版した後、本を読んだという小柄な女性を伴って、Nさんは研究室にやって来た。女性は、自分はひどい暴力を受けてきたと言うと泣き出して、ほとんど何も語らず帰っていった。
その夜、Nさんから電話があった。「実は○○さん、先生の本を読んで怒っていたんです。本に出てくる子には誰かいる。みんな助けてもらっている。自分は本当に一人だったんだよ、誰もいなかったんだよ、と。先生に会いたい、文句を言いたいと言ったので、今日、連れて行くことができました。彼女の中に望みができたことを、本当にうれしく思っています」
怒りの表出を望みの萌芽(ほうが)と読み解いたNさんの力に圧倒される。そうして私たちは親しくなった。
それからしばらくたち、あのとき研究室で泣き出した女性から連絡が入る。「今、内緒で子猫を飼ってます。見にきてください」。いそいそと施設に出かけ、暗い廊下でNさんに声をかける。「○○さんから、部屋で子猫を飼っていると連絡をもらって遊びにきました」。「内緒!内緒! まだ誰にもバレていません!」とNさんは慌てる。
笑いながら「ここ、国の施設ですよね。辞めさせられませんか?」と尋ねると、「ずぶぬれの子猫を抱っこして帰ってきたんですよ。ああ、○○さんは子猫と小さい頃の自分と重ねているんだ、と思ったんですよ。元の場所に戻せなんて、言えないですよ。もう退職届は書いています。猫を追い出せって言われたら、私、退職届出しますよ」
私たちの周りには暴力を受けている人がたくさんいて、私たちは今日もやらなくてはいけないことがたくさんある。それでも目の前のその人を真ん中に置いて考える。どうしたらいいのか迷った時には、その人が見てきた景色から考える。暗いと思っていた廊下に光が射す。
おにわの代表になってからも、困った時にはNさんに相談した。Nさんもきっとそうしていた。そうやってみんなで次の一歩を考えた。
夏の終わり、Nさんの訃報が届いた。いつもは落ち着いた声で話す年若い友人が、「お亡くなりになったそうです。ご病気が分かってからは、本当にあっという間だったと」と泣きながら電話をかけてきた。
お通夜で対面する。穏やかな、優しい顔で眠っている。
面影はそこここに残っている。大股で体を揺らすように歩く姿や、「○○さんはどうしたい?」と尋ねるまっすぐな声や、さらさらした髪の毛や。暴力を受けた女性たちの傍らに立ち、ブルドーザーのような勢いで、女性たちが明日を生きられるよう道を作った後、「よっ! 私は先に行くね」と鮮やかに立ち去った。
沖縄では今日も暴力が跋扈(ばっこ)する。男たちは女を殴り、米兵は女性や子どもをレイプする。バトンは受け取った。私たちにはやらないといけないことがたくさんある。
(教育学者)
(共同通信)