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現会長、新人時代に「倒産」同期去り冬の時代 「失敗を原動力に」 琉球海運、得意分野に経営資源を集中


現会長、新人時代に「倒産」同期去り冬の時代 「失敗を原動力に」 琉球海運、得意分野に経営資源を集中 琉球海運の宮城茂会長
この記事を書いた人 Avatar photo 島袋 良太

 琉球海運が会社更生法の適用を申請して倒産した1976年10月12日のわずか2日前。山梨学院大学体育館で、ボクシング世界王者に輝いた具志堅用高選手をリング上に見詰め、琉球海運の新人社員だった宮城茂氏(現同社会長)は高揚感に浸っていた。前年に琉海に入社し、東京支社で勤務していた。わずか2日後に勤め先が“ノックダウン”する側になるとは予想だにしていなかった。

 倒産後の「冬の時代」は長かった。同期は次々と会社を去り、新入社員の採用も10年近くほぼなかった。今年6月に社長のバトンを引き継いだ比嘉茂氏は86年入社。6年ぶりの新入社員だったという。

 2008年。社長に就任した山城博美氏(今年6月に相談役を退任)はため息をついた。造船などの設備投資や修繕、年間数十億円に上る燃料費など、規模の大きな支出を必要とする海運業において同社の現預金は数億円、自己資本比率は11・4%の低さだった。会社更生は既に終結していたが、経営はまだ綱渡りだった。「予算がない」という言葉が飛び交っていた当時の社内。財務立て直しを最大の課題とし、構造改革と営業機能の強化で基盤を固め、42年ぶりの台湾航路の再開を一つの節目に、16年に社長職を宮城氏に引き継いだ。近年の自己資本比率は30~40%台まで回復した。

 24年6月まで8年社長を務めた現会長の宮城氏はこう振り返る。「歴史は財産だ。多くを学び、成功の原動力にできる。過去には不得意な部門への過剰投資で失敗した。だから得意分野に集中した。今は財務の健全性や安全性を担保した上で、積極的な投資ができている」。宮城氏は今年6月、琉球海運出身者として初となる県経営者協会会長にも就任した。