<墓碑銘2020その2>亡くなった人々、忘れ得ぬ足跡(政治・経済) 比屋根毅さん、渡具知裕徳さん…


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 戦後復興から地方自治、県民生活の向上などに尽力した各界の功労者らもこの1年で亡くなった。(年齢は享年、死亡年月、役職は死去当時、敬称略)

名護市初代市長の渡具知裕徳さん。都市部から失われた豊かな自然を生かして産業を活性化させる「逆格差論」を提唱した。

【写真特集】2020年亡くなった方々

 

【政治】
 1970年に1町4村が合併して誕生した名護市初代市長の渡具知裕徳(91歳、9月2日)は4期16年、市の発展に尽力した。都市部から失われた豊かな自然を生かして産業を活性化させる「逆格差論」を提唱した。市長退任後はハンセン病国賠訴訟を支援。辺野古新基地建設阻止に向けた法廷で意見陳述するなど、辺野古移設に反対の立場を貫いた。

 初代北谷町長の島袋雅夫(90歳、3月13日)、元恩納村長の大城保晴(99歳、4月17日)、元具志川市長の仲本景美(88歳、8月14日)、元伊是名村長の伊〓正哲(94歳、11月16日)は地方自治に貢献した。

 元県議会議長で自民党県連会長などを歴任した外間盛善(83歳、11月3日)は78年に豊見城村議。80年の県議選で初当選して以降、連続7期務め、2004~06年に議長に選出された。1990年代の政界再編の中で自民党を離党し、新生党県連代表幹事、新進党県連幹事長を歴任した。その後、自民党に復党し、2003~04年に県連会長。08年に政界引退した。

 元県議の仲松庸全(92歳、2月2日)、元県議で元自民党県連幹事長の比嘉勝秀(79歳、10月20日)は県政発展に寄与した。

 【経済】
 電気機械器具などの製造、販売を手掛けるオーム電機(東京)を創業し、代表取締役会長も務めた新里和英(90歳、3月29日)は与那国町祖納生まれ。父親が勤める郵便局に就職し、機械いじりに目覚める。上京後に大手メーカーの家電を扱って低価格で販売を始めた。58年にオーム電機を創業した。県内ではメイクマンにも納入する。

 高級洋菓子メーカーエーデルワイス(神戸市)の創業者で代表取締役会長の比屋根毅(82歳、6月4日)は石垣市登野城で生まれ、中学校卒業後に本土に渡り、菓子製造会社に勤務し職人として腕を磨いた。1966年に兵庫県尼崎市でエーデルワイスを開業。2014年にはオキコと共同で「エーデルワイス沖縄」を設立した。一代で年商約160億円、全国に82店舗を構える大手菓子メーカーを築いた。

 元宮古新報社長の座喜味弘二(88歳、2月2日)はエアー宮古社長、沖縄宮古法人会会長なども務めた。合資会社新元会長の新元庄一郎(92歳、8月5日)は1945年に3代目として家業を継ぎ、主にタオル類などの日用繊維雑貨の販売を手掛けた。シネマ沖縄初代社長の与儀睦栄(91歳、8月16日)は沖縄の日本復帰前からカメラマンとして記録映像の制作に携わった。元県酒造組合連合会会長の山川宗秀(94歳、8月16日)はペルー生まれで、山川酒造の2代目社長。沖縄ペルー協会の会長も務めた。

 元日本公認会計士協会沖縄会会長の高嶺善包(76歳、9月28日)は、2000年に発足した市民グループ「NPO・沖縄南北縦貫鉄道を実現する会」の会長として、沖縄に鉄軌道導入を求める市民運動にも取り組んだ。

 【医療・教育】
 県助産師会元会長の奥松文子(94歳、2月12日)は県の初代保健婦として地域保健に尽力した。戦時中は志願して従軍看護婦となり、陸軍病院壕で傷病兵を看護した。戦後は助産院を開業、78年には北谷町に愛育保育園を開園した。沖縄の医療再建に関わり、看護業務の傍ら、看護人材の育成にも貢献した。

 尚学学園副理事長で、沖縄尚学中学校校長・高校副校長の名城政一郎62歳、7月14日)は空手の全生徒必修化や国際的な教育プログラムの導入など、生徒のグローバル社会での活躍を見据えた教育を実践した。フィンランドの教育や子育てを学び、同国と沖縄の交流を図る「沖縄フィンランド協会」の会長も務めていた。

 

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