25年前、一躍注目を浴びた普天間返還模型は今 当時の高校生が夢見た未来は【WEB限定】


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 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還に日米政府が合意した1996年、全国的に有名になった普天間跡地利用のジオラマ模型が、再び注目を集めている。模型は95年に普天間高校1年生が制作したもので、担任だった比嘉良徳さん(64)が大切に保管し、転任するたびに赴任校に持ち出し、平和学習に生かしてきた。本島全域を転々と移動した模型は、最終的に、普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の沖縄経済環境研究所に引き取られた。12日で返還合意から25年。普天間飛行場は返還されていない。模型が描く生徒の夢は次世代へと引き継がれる。(稲福政俊)

1995年に高校生が製作した普天間返還模型。当時まだ沖縄で走っていなかったモノレールが街の南北を走っている

■こだわったのは道路…なぜ

 模型はもともと学園祭の出し物だった。遊び盛りの高校生は、迷路など遊び型の出し物を提案したが、比嘉さんが一喝し、身近な問題を考える模型を制作することになったという。生徒にとって、普天間飛行場は生まれたときからあるもの。本当に返還される日が来るのか疑問を抱きつつも、話し合いを重ねて夢の街づくりに取りかかった。

 元生徒の大城さえきさん(42)によると、こだわったのは道路だったという。宜野湾市のど真ん中に位置し、街を分断する普天間飛行場。東西を行き来するには遠回りする必要があり不便なので、模型には東西をつなぐ道路を設けたという。生徒は模型を造りながら、基地が街のど真ん中にある異常さに気づいていった。

街の中央に位置する「宜野湾タワー」

■夢を詰めた街づくり

 模型の中心には、シンボルとなる「宜野湾タワー」が据えられている。東京タワーを彷彿とさせる外観だ。南側の区域には、観覧車やジェットコースターがある遊園地が作られた。ファッションビルやオフィスビルと思われる商業区域も南側に集中する。北東部には動物園や「琉球歴史村」、野球場などがある。当時はなかったモノレールも南北に走らせた。

 北西部には「国際平和センター」や「世界青少年会館」が建てられた。返還後は国際的に開かれた街にしたいという生徒の思いが表れている。地図上で普天間高校に最も近い最北端には「普天間基地返還記念碑」が設けられた。そこに米軍基地があったことを忘れないためのものだ。街のすみずみまで、生徒の夢が詰められた。
 

■一躍注目、生徒に変化

 完成したのは95年後半。高校の学園祭の出し物だったため、生徒や教職員のみが知る存在だったが、96年4月12日に返還合意が発表され、唐突に注目が集まった。沖縄県内だけでなく、全国からも新聞社やテレビ局が取材に訪れ、全国的に知られるようになっていった。制作に当たった生徒は、県内外で普天間飛行場返還や沖縄の米軍基地問題に関する勉強会などに招待され、発言するようになったという。

 

 思いがけず模型が注目され、生徒の心境にも変化が生まれていった。元生徒の屋宮大樹さん(41)は「これだけ注目されるとは思っていなかった。普天間飛行場と真剣に向き合わないと、誰かに何かを聞かれても答えられない。クラスメート全員が真剣になっていた」と振り返る。
 

普天間飛行場返還模型を作った普天間高校生=1996年6月

■26年経て沖国大へ

 模型は一時、佐喜真美術館で展示された。その後、倉庫に眠っていたが、比嘉さんが平和学習に生かすために引き取った。北中城、糸満、本部、小禄、首里と、比嘉さんは転任するたびに模型を持ち出した。模型のビル類は厚紙、小さな民家は発泡スチロールで作られており、決して丈夫とは言えない。比嘉さんは赴任先の生徒と共に、修復を重ねた。

 比嘉さんは2017年3月末、首里高校の校長で教員生活を終えた。その後は同校が預かっていたが、21年になり、校舎改築のため模型の置き場がなくなることが判明した。比嘉さんは宜野湾市役所や普天間高校などに掛け合ったが、スペースなどを理由に引き取り手は見つからなかった。模型が廃棄の危機にひんしていることを3月3日付の琉球新報が報じると、記事を見た沖縄国際大学沖縄経済環境研究所の友知政樹所長(経済学部教授)が引き取りに名乗りを上げ、模型は存続することになった。
 

1995年に制作した米軍普天間飛行場の跡地利用ジオラマ模型を前に、当時の思い出を語る比嘉良徳さん(左)と元生徒ら=11日、宜野湾市の沖縄国際大学

■次世代へ

 返還合意25年を翌日に控えた11日、沖縄国際大学で模型の贈呈式が行われた。友知教授は「3月末から模型を展示しているが、すでに学生や教員にプラスの影響を与えている。夢の模型を通し、米軍基地がない沖縄の未来を考えるきっかけになる」と話した。

 嘉数高台公園から普天間飛行場を眺めた後、贈呈式に参加した元生徒の大城さんは「嘉数高台から現実を見ると、願いがかなわないような気がするけれど、改めてこの模型を見ると希望が持てる」と語った。大城さんの隣には、普天間高校に通う息子の姿もあった。世代を超え、模型は米軍基地問題を考えるきっかけを提供し続けている。
 

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